過労死のない社会へ 防止法成立に尽力、西垣さん(兵庫)

朝日新聞 2014年6月26日

写真・図版:「法の成立は第一歩」と話す西垣迪世さん=神戸市(省略)

 過労死対策を進める責任が国にあることを初めて明記した「過労死等防止対策推進法」が20日、成立した。先頭に立って法制定を求め続けた遺族の1人が、一人息子を2006年に失った西垣迪世(みちよ)さん(69)=神戸市=だ。「命を守れる社会」をめざした8年半の取り組みと今後を聞いた。

■「健康に生きたい」

 息子の和哉は神奈川県のIT会社のシステムエンジニアでした。徹夜して翌晩10時まで三十数時間働き、終電を逃せば机に突っ伏して朝を迎える――。そんな過酷な日々を送り、入社2年目には「抑うつ状態」と診断されて休職。4年目の2006年1月、うつの治療薬を大量に飲んで死亡しました。まだ27歳でした。

 最後に話をしたのが、この3カ月前。2回目の休職で帰省し、「会社を辞めたら」と促す私に、「うつなのは他の人も同じや。働きながら治すしかない」と聞かず、復職しました。

 その日は仕事中に知らせを受け神奈川へ駆けつけましたが、息子はもう冷たかった。母一人子一人で生きてきて私の人生も終わった、と悟りました。息子がブログに書き残したのは「もっと健康的に生きたい」「このまま生きていくのは死ぬより辛(つら)い」といった言葉。人間扱いされなかった無念が刻まれていました。

■仲間と支え合い

 労災を申請しましたが、認められませんでした。「なぜ国は立ちはだかるのか。なぜ犠牲者の側に立てないのか」と納得できなかったが、裁判まで起こそうとは思わなかった。

 そのころ、長時間労働の末に夫が自殺した、京都市の寺西笑子さんから電話をもらいました。「裁判をしても息子さんは帰ってきません。でも、一生懸命働いたんだという証しはもらいましょう」。背中を押され、09年2月、国を相手に、東京地裁へ労災認定を求めて提訴しました。

 裁判のために、息子の同僚の多くが貴重な証言をしてくれました。11年3月の判決は、国側の「会社としては普通に勤務させていた」などの主張を退け、業務と死亡に因果関係があると認定。国は控訴せず、判決は確定しました。

 一方で、寺西さんが代表を務める「全国過労死を考える家族の会」に参加し、過労死等防止対策推進法の制定を議員らに訴え、署名を集め続けました。「(社会問題化し)四半世紀続いた過労死をなくし、明日にでも過労死するかもしれない命を一人でも多く救うために」。寺西さんが5月に行った衆議院厚生労働委員会での意見陳述は、家族の会みんなで練り上げたものでした。

■国の空気変わる

 上京し今月20日夜、参議院本会議場で法成立の瞬間を息子の遺影と見届けました。息子を失い8年半のことが頭を駆け巡り、思わず涙が出た。「お母さんの活動が一つの形になったよ」と息子に報告しました。

 法ができても私たち遺族の悲しみは変わりません。10年前にこの法律があれば息子は助かったかもしれない、と考えると胸が締め付けられます。過労のせいで、これからという人生が奪われるという過ちは二度と起きてはいけない。

 この法律は過労死をなくすのに完璧ではありませんが、国の空気は大きく変わるはずです。今後は、私の体験を学校教育の現場で伝えるなどして、過労死のない「普通の社会」を目指していきます。

   ◇

 西垣さんが参加する過労死防止基本法制定兵庫実行委員会は7月27日午後1時半から、神戸市中央区中山手通4丁目のラッセホールで法成立の報告集会を開く。無料。問い合わせはサロン・ド・あいり(078・241・1898)。(青田貴光)

この記事を書いた人