「過労死防止法」成立 国に責務 社会全体の問題

2014年7月6日 東京読売新聞 朝刊

 働き過ぎで命を落とすことのない社会を目指す「過労死等防止対策推進法」が成立した。国に対策の責任があることが明記され、過労死が個人ではなく、社会全体の問題とされた点が特徴だ。今後、どんな対策が求められるのだろうか。(大津和夫)

 「関係者が取り組みを始めてから四半世紀。やっと過労死対策が国の目標になった」

 過労死防止法が成立した先月20日、同法の制定を求めてきた実行委員会の委員長、森岡孝二・関西大名誉教授は、感慨深げにそう語った。

 同会は2011年に設立され、国会や地方議会などに法律の制定を働きかけてきた。昨年6月には、超党派の議員連盟が発足。現在、約130人が名を連ねる。

 同法は、過労死を、「本人はもとより、遺族または家族のみならず社会にとっても大きな損失」としたうえで、「国は防止策を効果的に推進する責務がある」と明記した。

 具体的には、遺族や労使の代表らで作る協議会を設置し、対策を示した大綱を策定することや、実態調査を行い、法制・財政上の措置を取ることが盛り込まれた。年次報告(白書)の作成や相談体制の充実なども求めている。年内に施行される予定だ。

 基本理念を示すだけで、具体的な規制が定められたわけではない。だが、英語にもなっている「過労死」という言葉が初めて法律に盛り込まれ、社会全体で取り組むべき課題とされた点で、成立の意義は大きい。

 ◆予備軍の増加懸念
 事態はそれだけ深刻だ。
 「ふつーに仕事をしたい」「このまま生きていくのは、死ぬよりつらい」――。

 首都圏の情報通信関連会社に勤務していた西垣和哉さん(当時27歳)は06年、ブログにこんな言葉を残して、治療薬を過剰摂取して死亡した。11年に労災が認められた。

 システムエンジニアとして働き、残業時間は月100時間以上。徹夜の日もあった。うつ病になり、休職と復職を繰り返した。亡くなる直前、和哉さんは、退職を勧める母親の迪世(みちよ)さん(69)にこう話したという。

 「職場の同僚もうつを抱えながら頑張って働いている。上司の期待にも応えたい。休職のまま辞めると次の就職先を見つけるのが大変なんだ」

 迪世さんは「今の社会は、普通に働くという当たり前の願いすらかなえられない」と話す。

 防止法では、長時間労働や仕事上の強いストレスが原因で、死亡したり、自殺を図ったり、病気になったりした状態を「過労死等」と呼ぶと定義された。こうした状態で労災と認定された人は増加傾向にあり、13年度は742人に上るが、氷山の一角とみられる。申請自体を諦めてしまうケースも少なくないからだ。

 “過労死予備軍”も多い。総務省の労働力調査(12年)によると、30歳代男性のおよそ5人に1人(18・2%)、144万人が、週60時間以上働いている。週休2日とすると、1日12時間以上働いていることになり、過労死ラインを超える恐れがある。最近は、若者を酷使した揚げ句に使い捨てる「ブラック企業」が顕在化しており、予備軍の増加が懸念される。

 ◆上限のない労働時間
 今後の焦点は、長時間労働の是正だ。「労働時間に絶対的な上限規制がない」現状が厳しく問われそうだ。

 労働基準法は、1日8時間、週40時間を超えて労働者を働かせてはいけないと定めている。だが、残業代の支払いを前提に、労使で協定(三六協定)を結べば残業させることができる。その際、月45時間などと一定の目安はあるが、目安を超えて協定を結んでも罰則はない。また、これとは別に、特別の協定を結べば、1年のうち半年までなら無制限に働かせることもできる。

 厚生労働省の13年度労働時間等総合実態調査によると、大企業の94%、中小企業の43%が三六協定を結んでいる。このうち、大企業の62%、中小企業の26%が特別の協定も結んでいる。週40時間という法定労働時間は実質的な規制になっていないのが現実だ。

 政府は、成長戦略の一環で、働いた時間に関係なく、成果に応じて賃金を払う労働時間制度の導入を打ち出している。だらだらと仕事をして残業代をもらうのではなく、効率的な働き方を促すのが狙いだ。ただ、残業代という歯止めがなくなれば、長時間労働が助長される恐れもある。

 一方、英国やフランスでは、健康上の観点から、「残業を含めて原則週48時間」という労働時間の上限規制のほか、24時間につき最低連続で11時間、休息時間を設けることを定めている。国際比較で見ると、週50時間以上働く人の割合は、日本は31・7%に上るが、英国は12・1%、フランスは9%となっている。

 労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎・主席統括研究員は「問題なのは、長時間労働が違法ではないという点だ。そのため、取り締まりも難しい。欧州のように労働時間の上限を設け、『仕事と生命の調和』が図れるような環境を整えるべきだ。仕事の範囲が無限定になりがちな正社員のあり方も見直していく必要がある」と話している。

 
 <過労死等防止対策推進法の主な内容>
◆過労死は社会の大きな損失であり、国は防止策を推進する責務がある
◆遺族、労使、有識者らで作る協議会を厚生労働省内に設置。これらの意見をもとに、対策の大綱を策定する
◆調査研究を実施し、必要に応じて、法制上、財政上の措置を講じる
◆11月を啓発月間とし、国民の関心と理解を深める
◆国や自治体は、相談体制を整備する

 
 〈過労死ライン〉
 厚生労働省が、脳、心臓疾患で労災認定される目安として使っている基準を指す。残業時間がおおむね「発症前1か月間に100時間」「発症前2〜6か月間で月当たり80時間超」をいう。
 
 図=週50時間以上働く人の割合(省略)

 図=過重な労働で労災認定された人(省略)
 
 写真(省略)=(左)過労死で亡くなった息子の遺影を前に話す西垣さん。「労災認定されても、私の大事な息子は戻ってこない」(右)過労死等防止対策推進法が成立した日、記者会見する遺族ら(6月20日、東京の国会議員会館で)

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