毎日新聞 2014年9月3日
◇国・自治体の責務に−−関西大名誉教授・森岡孝二氏
先の国会で過労死等防止対策推進法(過労死防止法)=1=が成立した。「過労死防止基本法制定実行委員会」の委員長として遺族らとともに立法措置を求めてきた森岡孝二・関西大学名誉教授に、その意義や今後の課題を聞いた。【聞き手・東海林智、写真・梅田麻衣子】(写真は省略)
−−過労死が社会問題化してから四半世紀が経過し、「KAROSHI」として国際的にも知られる異常な状況に歯止めをかける過労死防止法ができました。
過労死や過労自殺は「あってはならない死」です。よくここまでこぎ着けたなというのが実感です。2011年11月に被災者家族や弁護士、学生らで法制定を求める実行委員会を結成しました。55万筆の署名を集め、道府県議会を含む全国121の地方議会で制定を求める意見書が採択されるなど運動が広がりました。昨年6月には超党派の議員連盟が作られ、約130人が参加、法制定の大きな力になりました。
−−超党派の議員が動いた背景に何があったのですか。
過労死は人災です。被災者家族らが中心になって熱心に議員を訪ね歩き、過労死の現状を伝えた結果、理解が広がりました。また、法制定を求める院内集会に参加した議員のあいさつでは、身内や近しい人、支援者らの間に過労死や過労自殺の被災者がいるという話が参加の動機として語られました。「人ごとではない」という思いが危機感を持って広がったことも背景にあると思います。国会の総意として防止法が成立したことは大きな意義があると思います。
−−法律ができたことで具体的にはどのような効果が期待できますか。
この法律は、過労死の防止を国と自治体の責務として初めて定めました。防止対策として調査・研究、啓発、相談体制の整備、民間団体の活動支援などを盛り込んでいます。
例えば、調査・研究の分野では、個々の労災請求を詳細に検討して積み重ねていけば、これまで見えていなかった長時間労働の健康への影響を具体的に解き明かすことができます。深夜労働やシフト制、連続勤務や休憩時間のあり方がどのように健康被害につながるのか分かるかもしれません。
また、現在、過労死認定=2=されている脳・心疾患以外の疾病、例えば糖尿病のような疾病に対する長時間労働の影響の解明も重要です。これまで、長時間労働の実態があっても関連が解明されなかったケースでの労災認定に役立つでしょう。
−−防止対策は進むでしょうか。
労災認定される過労死・過労自殺は「氷山の一角」と言われています。全体像が見えてくれば、具体的な防止策も前進し、命を危うくする働き方への抑止につながっていくものと期待しています。
その他にも、国や自治体による過労死の広報・教育活動や、11月の「過労死等防止啓発月間」を通じて、過労死の防止を国民的課題として可視化することも期待できます。
−−法成立直後に、政府は労働者の一部を労働時間規制から除外する「新たな労働時間制度」を成長戦略に位置づけました。長時間労働を助長するとの批判も根強くありますが。
現状から見たら、逆立ちした提案です。正社員の労働時間は既に限界を超えるほど長くなっており、その抑制が求められています。しかし、この制度は一部の人を労働時間規制の対象外とし、際限のない長時間労働を容認するものです。また、働く人の命と健康を守るべきなのに、命と健康を経済発展の道具にしようとしています。二つの意味で逆立ちしていると言わざるを得ません。
−−除外の対象者は年収1000万円以上で専門的な仕事などと要件を挙げていますが。
対象者の多くは、勤続20年ぐらいで40〜50代、部長や課長、それに準じる人々でしょう。部下を指導、指揮する立場の人には出退勤の裁量があったとしても、部下が仕事をしている中で先に帰ることができるかと言えば難しい。専門職というくくりも、日本の職務区分は大ぐくりです。専門分野があいまいで、多様な仕事を抱えているのが現実です。いずれにせよ、労働時間規制から除外されれば、長時間労働から逃れるのは極めて難しい。
また、労働者派遣法が派遣可能な職種を限定して始まりながら、後に全面解禁されたように、いずれは年収要件も専門性の要件も緩和されることが予想されます。命の危険にさらされる労働者はあっという間に拡大するでしょう。そうなれば、今以上にひどい状況を招いてしまいます。
−−過労死防止法ができたからといって手放しで喜べる状況ではないということですね。
法の成立は、過労死防止対策の長く困難な道の入り口に立ったに過ぎません。制定された法をどう生かすかは、国と自治体、事業主の責務であると同時に私たちの課題でもあります。
◇聞いて一言
2006年の第1次安倍政権時代に、労働時間規制から管理職に近い人を除外する「ホワイトカラー・エグゼンプション」構想が出された。思えばこれに「過労死促進法案だ」と反対したのも被災者家族だった。その家族や森岡さんらが、過労死防止法の成立に全力を挙げたのは「これ以上働く者の犠牲を許さない」との願いからだ。くしくも、法成立直後に、再びエグゼンプションが成長戦略として提案された。当然、残業代ゼロより過労死ゼロが優先されるべきだ。
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■ことば
◇1 過労死等防止対策推進法
「過労死はあってはならない」を基本理念に、国に過労死防止の施策を策定・実施することや、自治体に協力して地域の施策を策定する責務を課した。事業主には防止策への協力、国民には過労死防止への関心と理解を深める努力義務も課した。今秋に大綱を作り、過労死等防止対策推進協議会が設置される。
◇2 過労死認定
2013年度の脳・心疾患による過労死の労災請求件数は784件(前年度比58件減)、認定は306件(同32件減)と過去最多レベルで高止まりしている。精神疾患の労災請求件数は前年度比152件増の1409件(自殺177件含む)で過去最多、認定は436件(前年度比39件減)だった。過去最悪の前年度は下回ったが400件台の認定が続いている。
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■人物略歴
◇もりおか・こうじ
1944年生まれ。専門は企業社会論。近著に「過労死は何を告発しているか 現代日本の企業と労働」(岩波現代文庫)。