みわよしこさん「生活保護費引き下げ訴訟「大詰め」、司法は最後の意地を見せるか」 (1/31)

生活保護費引き下げ訴訟「大詰め」、司法は最後の意地を見せるか
みわよしこ:フリーランス・ライター

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ライフ・社会 生活保護のリアル〜私たちの明日は? みわよしこ
2020.1.31 4:40

〔写真〕生活保護基準の数度にわたる引き下げに対し、全国の都道府県で提起された国家賠償訴訟。司法は意地を見せられるか(写真はイメージです) Photo:PIXTA

■大詰め、そして判決を迎える生活保護引き下げ訴訟

 2012年12月、衆議院総選挙が行われ、自民党が安定多数となり、民主党から政権を奪還した。このとき、自民党は「日本を、取り戻す。」というキャッチフレーズで選挙戦に臨み、生活保護については「勤労者の所得水準、物価、年金とのバランスを踏まえ、生活保護の給付水準を10%引き下げます」と公約した。

 この公約は、早くも2013年1月に“粛々と”実現に移されることとなった。予定されていた生活保護基準の見直しにあたり、厚労省は生活費分(生活扶助)を平均6.5%(最大10%)引き下げる方針を表明した。自民党の「10%」という引き下げ方針に対して、厚労省は引き下げ幅の若干のディスカウントに成功したことになるが、低所得層にとっての「平均6.5%」は、まさしく生存を削る重みがある。厚労省に感謝することはできない。

 引き下げは2013年8月、2014年4月、2015年4月の3回にわたって段階的に実施された。影響を直接受けるのは、生活保護で暮らす当事者たちである。まず、全国で1万人以上の当事者が、行政に対する審査請求を行った。ついで、全国の29都道府県で国家賠償訴訟「いのちのとりで裁判」が提起された。集団訴訟の原告となった当事者は、現在、1022人に達する。他に、個人による本人訴訟もある。

 その後も、生活保護では引き下げが続いている。2015年に暖房費補助(冬季加算)と家賃補助(住宅扶助)の引き下げ、2018年に生活費分の再度の引き下げ、および子どもの養育にかかわる加算の引き下げが実施されている。この他にも、目立ちにくく対象者が少ない引き下げや締め付けが、数多く実施されている。

 厚労省は「引き下げ」ではなく「見直し」としており、一部には「引き上げ」「新規給付」となった地域や世帯も存在する。しかし、全体では総額が減少しており、明らかな引き下げである。行政が司法判断を待たずに引き下げを重ねることは、それ自体が司法軽視であると言わざるを得ない。

 その間も、全国で「いのちのとりで裁判」が進行していた。最も進行の速い名古屋地裁では、本年1月27日に結審し、6月に判決が示される見通しだ。

■国家賠償訴訟が「どうせ勝てない」理由とは

 国家賠償訴訟の成り行きは、影響の範囲と程度によって大きく異なる。国の明確な過失によって個人が損害を受けた場合、その個人1人だけに対する賠償で決着するのなら、国は敗訴する可能性が高い。対象者は多いけれども“後腐れ”がない場合も、国が敗訴する可能性は高い。

 たとえば「2019年4月まで認められていた治療薬の副作用による健康被害」であれば、「平成」の終わりとともに、被害は新規発生しなくなっている。今、国家賠償訴訟を開始すれば、勝訴できる可能性は高い。

 生活保護においても、事情は同様だ。「生活保護世帯の子どもが獲得した給付型奨学金を、行政が召し上げた」「生活保護世帯で自動車の保有が禁止されているので、生活できない」といった事例では、司法が「それは不適切」という判断を積み重ねてきた。

 ところが、200万人以上の生活保護受給者全員を対象とした生活保護基準引き下げでは、事情が全く異なる。もしも原告が勝訴すると、国は2013年に遡って、合計数千億円の賠償を行うことになる。しかも生活保護基準は、住民税非課税・就学援助・社会保険料減免・介護保険利用料など、多数の制度と連動している参照基準だ。あらゆる影響を回復するために必要な費用は、兆円の単位になるかもしれない。
序盤で発生した

■「裁判官忌避」問題とは

 むろん、結果として原告の敗訴となっても、訴訟のプロセスの中で事実や考え方を示すこと自体に意義がある。しかし、「いのちのとりで裁判」の動きが具体化した2014年、筆者は「勝訴はあり得ないだろう」と考えていた。
法律家たちの意見も、勝敗に関しては悲観的であった。もしかすると序盤では、行政も司法も「ナメて」いたのかもしれない。筆者は、2015年から2016年にかけての「裁判官忌避」問題に、当時の司法の感覚が現れていると考えている。

2014年11月から2015年3月にかけて、さいたま市の「いのちのとりで裁判」で国側代理人を務めたK検事が、その後、裁判官となり、2015年5月から11月にかけて金沢地裁で同裁判を担当した。K検事あらためK裁判官は、裁判長ではなかったが、一般社会通念としては「問題あり」であろう。
先月まで放火犯だった人物が、今月から消防庁で119番通報に対応しているという状況下で、「市民の119番通報は、確実に現場への消防車派遣につながる」と信じられるだろうか。裁判においては、「公正中立であるべき」という原則を疑われることになる。
このため、原告代理人の弁護士たちは「裁判官忌避」の申し立てを行った。申し立ては、2016年3月に認められた。

■中盤で明らかにされた「物価偽装」の内実

 筆者から見た「いのちのとりで裁判」の争点は、「生活保護で暮らす当事者の成果が、『最低限度だけど、健康で文化的』ではなくなる」「引き下げの根拠とされた物価下落は実在したのか」「社保審・生活保護基準部会の専門家たちの議論は、どう扱われたのか」の3点である。当事者の生活の質の劣化は、最も深刻な問題であり、当然の結果でもある。

 200万人以上の生活の「最低限度」を突き崩す決定は、2013年1月に厚労省が突如提示した「生活扶助相当CPI」という独自の物価指数、および2011年から2013年1月にかけての生活保護基準部会の議論と結果を踏まえて行われたことになっている。「生活扶助相当CPI」と結果を見た瞬間、フリーライターの白井康彦氏(当時、中日新聞社)は「こんなん、ありえん!」と直感し、計算の内実を究明するために全力を尽くした。

 さらに、白井氏の熱意に巻き込まれた政界や学術界の数多くの人々が、様々な側面から計算の内実を明らかにする試みを重ねた。現在、「生活扶助相当CPI」の正体は、物価指数の算定方法をツギハギし、さらに最も都合のよい年と品目を選んで計算したものだということが判明している。算定方法のツギハギ、そして年と品目と重み付けの選択には、合理的根拠がまったく見当たらない。

 白井氏は、この計算を「物価偽装」と呼んでいる。もともと物理実験や計算機シミュレーションに従事していた筆者は、この方法に対して「呆れてモノが言えない」という思いである。数値計算や実験結果との照合に関する「やってはならない」ことのオンパレードだからだ。
もしかすると、「生活保護制度を充実させたい人々の中に理系はいないから、そこが問題にされることはないだろう」と思われていたのかもしれない。

■終盤で岩田正美氏が述べた「つまみ食い」への怒り

 厚労省が、「生活扶助相当CPI」に加えて引き下げの根拠としたのは、2011年から社保審に常設されている生活保護基準部会の議論および結論だった。しかし、当時、生活保護基準部会の実質トップだった岩田正美氏(日本女子大学名誉教授)は、2019年、この訴訟の被告側証人として、基準部会では「物価については検討していない」と明確に述べ、結論が「つまみ食いされた」ということに対する怒りを示した。

 基準部会の委員は、日本を代表する社会福祉学者たちが務めている。検討の方法やデータは、政治的な立場はそれぞれ異なる委員たちの全員の納得によって選択され、入念な検討のもとで報告書が取りまとめられる。とはいえ、報告書の取りまとめに関しては、厚労省の意向がどうしても入り込む。

 基準部会を傍聴していると、時に、「研究者として譲れない」という委員たちの思いと厚労省の意向の鋭い対立となる場面もある。いずれにしても、委員たちの激しく反対している意見が、そのまま「基準部会の結論」として報告書に掲載されることはあり得ない。

「いのちのとりで裁判」において、厚労省は、2013年の引き下げを妥当とし続けている。引き下げの根拠の1つは、一流の研究者たちによる基準部会の議論と報告書である。しかし、その基準部会の当時のトップが、法廷で原告側証人として「物価の議論はしていない」と明言し、「『引き下げるべき』とは述べていない」「結果が都合よくつまみ食いされた」という内容の怒りを表明した。

■最後の「詰め」が始まる司法は意地を見せるか

 2014年当時の筆者は、「いのちのとりで裁判」に対し「勝敗という意味では、どうせ勝てないだろう」と思っていた。しかし、そうとは限らないかもしれない。
「生活扶助相当CPI」の内実を明らかにした白井康彦氏は、原告側の立場で、各地の法廷に立っている。白井氏は、関東の地裁の1つで「空気感は、少し変わってきている印象があります」という。

「その地裁では、このところ毎回、裁判長が被告の国に対して、厳しい態度をとっているように感じられます。最近も、被告側の厚労省が、計算の根拠を説明する文書を提出する予定だったのに、出さなかったことがありました。裁判長が『いつなら出せるのか』と質すと、厚労省は明確に答えられませんでした。原告側弁護士らは「なぜですか」と質問し、裁判長は厚労省のはっきりしない態度に対する厳しい印象を示しました。『泥縄的な対応』というような言葉もあった記憶があります」(白井氏)

 日本の三権分立は、形骸化していると言われる。特に厳しい視線を向けられているのは、行政との対立を避ける司法だ。しかし筆者は、「日本の司法は、まだ捨てたものではない」と期待したい。

「いのちのとりで裁判」の判決は、6月の名古屋地裁を皮切りに、2021年春の福岡地裁、札幌地裁、岡山地裁で示され、以後、全国各地の地裁が続く見通しだ。

【参考】
・J-ファイル2012 自民党総合政策集
https://jimin.jp-east-2.storage.api.nifcloud.com/pdf/j_file2012.pdf?_ga=2.234770590.167407586.1580347573-1976759328.1580347573
・いのちのとりで裁判全国アクション
https://inochinotoride.org/

(フリーランス・ライター みわよしこ)
 

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