第2回 人間と時間――シェークスピア、マルクス、マイグランマ

森岡孝二の連続講座「働き方を考える」

第2回 人間と時間――シェークスピア、マルクス、マイグランマ

前回は、1日の生活時間を取り上げ、ライフスタイルは働き方で決まる、自由時間は労働時間に規定されるという話をしました。では、そもそも、人間にとって時間とは何なのでしょうか。

突然ですが、ここでシェークスピアとマルクスに登場してもらいましょう。シェークスピアは、17世紀の初めに初演された『ハムレット』のなかで、デンマークの王子である主人公に、Waht is a man ?と自問させて、こう語らせています。

「人間とは何だ。もし、人間が時間をほとんどただ寝て食べるためだけに費やすとれば、けだものに過ぎない」(愛用の訳本が見あたらず英文から拙訳)。

後に続く台詞を読めば分かることですが、ハムレットは、ただ食事と睡眠を取るだけなら動物だってできる。人間なら考えて行動するべきだ、自らの尊厳のために命をかけて闘うべきだ、と自分に言い聞かせているのです。

このハムレットの言葉をおそらく念頭において、マルクスは『資本論』の草稿がほぼ出来上がった1865年に、国際労働者協会で行なった講演「賃金・価格・利潤」で次のように述べています。

「時間は人間の発達の場である。思うままに使える自由時間をもたない人間、睡眠や食事などをとる純然たる中断時間は別として、その全生涯が資本家のための労働に吸い取られている人間は、けだものにも劣る」(『マルクス・エンゲルス全集』第16巻145ページ)。

ここでマルクスが言いたいのは、資本(企業)は、法律によって労働時間が制限・短縮されないかぎり、人間から発達のための時間を奪い取って、人間をけだもの以下の存在におとしめるということです。

1986年の国際労働者大会に宛てた文書では、マルクスは1日の労働時間の制限は、労働条件の改善のための先決条件であると書いています。なぜなら、それは、労働者が健康と体力を回復するためにも、また労働者が知的発達をとげ、社交や社会活動や政治活動に携わる可能性を保障するためにも、あらかじめ確保されていなければならないからです。

労働基準法は、第1条で「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない」と謳っています。また、第32条で「使用者は、労働者に、休憩時間を除き1週間について40時間を超えて、労働させてはならない」「1日について8時間を超えて、労働させてはならない」と定めています。労基法がこうなっているのは、マルクスが言うように、時間は人間の発達の場であり、労働時間が制限されなければ労働条件の改善は望めないからです。

話は飛びますが、マイグランマ、つまり私の祖母は、父や母がまだ夜なべをしている時間に添い寝をしてくれて、よく「寝るより楽はこの世にない。起きて働くバカもある」と言っていました。昔の年寄りは労働の大切さと尊さを百も承知で、このようにな諺にたくして、人間にとっての睡眠の必要性を言いたかったのでしょう。

最後にイギリスの諺をひとつ。All work and no play makes Jack a dull boy. 勉強ばかりで遊ばないと子どもはダメになる。仕事ばかりしていて休まないと大人もバカになりますよ。

 

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