第36回 集中講義? 08恐慌は新自由主義政策の帰結

第33回「株式バブルと住宅バブル」でも述べたように、アメリカの株価は、1995年から2000年まで多少の乱高下を挟みながら大幅な上昇を続け、2000年から2002年にかけて大きく下げました。しかし、1997年以降上昇幅を大きくしてきた住宅価格は株価が低迷していた間も上昇を続け、株価も2003年初めから2007年初めにかけては、住宅バブルの高進に引きずられるように再び急激に上昇しました。

チャートのカーブが右肩上がりに急上昇している期間に注目すれば、第一次株式バブルと住宅バブルが重なる1997年から2000年の間は、クリントン大統領の2期目の在任期間でした。彼は財政赤字を解消し、インフレなき経済成長を達成したと評価されていますが、今日から見れば、異常な資産インフレ、つまりバブルをもたらした政治指導者であったと言わなければなりません。

最近、マサチューセッツ大学教授のロバート・ポーリンが著した『失墜するアメリカ経済』(佐藤良一・芳賀健一訳、日本経済評論社)という本を読みました。この本は民主党のクリントンから共和党のブッシュに至る新自由主義政策を追跡して、アメリカを今日の破綻に導いたバブル経済はクリントンの新自由主義的な経済政策(クリントノミックス)によって準備されたことを明らかにしています。

クリントン政権は戦後のどの大統領よりも強力に金融の規制緩和を進めました。それを象徴しているのは、大恐慌の最中の1933年に成立した銀行法(グラス・スティーガル法)に基づく銀行業務と証券業務の分離をなくしたことです。この規制は銀行経営の健全性を確保することが目的でしたが、この規制が緩和・撤廃された1990年代に、アメリカの金融機関は投機とバブルにのめり込んでいきました。

クリントノミックスの立役者の一人は、レーガン政権から引き続いて連邦準備制度理事会(FRB)議長を努めたグリーンスパンでした。彼は、90年代後半にバブルが膨らんでいることに気づきながら、また、株式取引に一定の「委託保証金」を賦課すればバブルを沈静化させうることを知りながら、金融規制には手をこまねいていました。彼が08年10月の下院公聴会で、金融の舵取りについて過ちを認めたのは、そうした事情があったからです。

アメリカの1990年代半ばからのバブルでは、1980年代後半の日本のバブル以上に、大きな消費ブームが起きました。年収のほとんどが消費に向けられ、ローンによって所得を上回る消費さえ行われるようにさえなりました。この空前の消費ブームを担保したのは、バブルで膨らんだ株式と住宅の資産価値でした。当然ながら、「資産効果」が大きいほど、バブルが崩壊したときの「逆資産効果」による消費の落ち込みも大きくなります。日本と比べて個人金融資産における株式の比率がはるかに大きいアメリカでは、なおのことです。

そして、バブルの崩壊による消費の落ち込みと同時に起きたのは、設備投資の急激な減退と、生産の大幅な落ち込みでした。そのうえ、失業と雇用不安の増大は、消費マインドをさらに冷え込ませ、不況を長期化せずにはおきません。

もうひとつ見過ごせないのは、アメリカでは繁栄の1990年代にも、大規模なレイオフやダウンサイジング(日本でいうリストラ)が跡を絶たず、労働者の実質賃金は下がり続け、バブルのピークでもほとんど上がらなかったことです。2000年代になると中流階級の没落や縮小がいわれはじめ、それがサブプライムローンの焦げ付きと個人破産を増大させる一因にもなりました。そのことも重なって、10年以上続いた消費ブームは今では完全に過去のものとなりました。

1929年恐慌は、ルーズベルト大統領にニューディールと呼ばれる一連の革新的な社会経済政策の実行を迫りました。2008年恐慌に押されて、オバマ大統領は、どのような社会経済政策を実行するのでしょうか。変化を求めた有権者が、クリントンとブッシュの新自由主義的な政策を継承することを期待しているのではないことは明らかです。(アメリカ編終わり)

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