第8回 本来の働き方改革 公正な権利としての長期休暇実現を

 「10連休」の光と影

  この「10連休」は初めての大型連休として注目されました。海外に出かける人も多いことなど、その「光の面」については、連日TVなどで大きく扱われました。欧州諸国では長期休暇(バカンス)をとることが、一部の富裕層だけでなく広く労働者や自営業者にまで広がり当然の社会慣行になっています。たしかに、日本では、10日も連続する長期の連休はこれまでなかった初めてのことだと思います。
  その半面、この10連休は「影の面」を浮き彫りにすることにもなりました。大企業の正社員や正規公務員の場合は、10日間連続で休んでも給料が減額することがないと思います。これに対して日給制の場合や、日雇派遣など非正規の雇用形態で働く人は、仕事がなかったり賃金が減額されたりするために蓄えも減って連休そのものを乗り切ることが大変であったという声が出ています(東京新聞2019年5月8日)。仙台では、地域ユニオンやPosseが自治体の援助も受けて連休で逆に苦しい人々のために「大人食堂」を企画するという注目すべき活動もありました。
  また、「元請け(大企業)はいいよね。下請け(中小零細業)に業務を丸投げすればいいんだから」という声も出ています。連休でも仕事量が減らないか、場合によっては増えてしまいます。仕事をこなす人的余裕がないので年休取得そのものが難しいということです。
  ハンディキャップを抱えた人を支援する福祉関連の事業所では、「長期の連休でも支援サービスを停滞させることが難しい」という声を聞きました。いのちや健康を支える医療機関は日常的に人手不足が深刻です。こうした職場では、皆が長期の連休をとることは簡単ではありません。10連休に光が強く当たれば当たるほど、休暇取得が難しい職場の現実が「影」として目立つことになるのです。
 
 長期休暇を権利として保障する国=30年前のイタリア
  「休暇大国」と言えるドイツやフランスだけでなく、欧州の中では経済的に弱いイタリアでも夏のバカンスは社会慣行として定着しています。私がイタリアで一年を過ごした30年前(1988年から1989年)、富裕層だけでなく普通の労働者や自営業者など、ほとんどの市民が2〜3週間の長期休暇を海や山の別荘で過ごすことが常識となっていました。
 
  日本より国土も小さく、資源もなく経済的には貧しいはずのイタリアでなぜ長期バカンスが社会的に定着しているのか?
 GDP世界2位である日本(当時)の労働者が休暇も取らず長時間労働をしているのに、なぜイタリアの労働者は長い休暇を楽しみ豊かな生活を送ることができるのか?

  当時の私は、強く疑問に思って色々と考えてみました。
 このイタリアの経験については、『労働法を考える−この国で人間を取り戻すために』(新日本出版社、2007年)で紹介しています。
  その理由を簡単には思いつかなかったので、知り合いのイタリア人研究者に尋ねてみました。イタリア人は誰もが親切です。日本人からの、考えたこともなかった質問に頭を捻(ひ)ねりながら答えてくれました。
  ・(イタリア)憲法第1条は「イタリアは労働に基礎を置く民主的共和国」と定めており、憲法第36条は「勤労者は各週の休息および年次有給休暇を取る権利を有し、これを放棄することはできない」と書いてある
 ・カトリックでは「労働は神の与えた罰」と考えている。労働が好きな日本人とは労働観が違う
 ・働いて働いて過労死する日本人は理解できない。働いて働けばバカンスが取れて生き返る。だからバカンスは労働者には不可欠の権利とされているのだ。
  折角、考えて答えてもらった回答ですが、「そうか!」と心から納得できるものではありませんでした。当時の私は日本の現実にすっかり染まっていて、イタリア人の意識や感覚が理解できる状況ではなかったからです。
 
 M・ムーアの「世界征服のススメ」が描くイタリア
  当時、経済大国の日本と比較して「イタリア人は働かないから経済的にうまくいかない」など、イタリア人やイタリア社会を悪くいう「イタリア病」などという言葉など、まことしやかな議論もありました。しかし、1年という短い期間ですが、そのイタリア社会で実際に暮らしイタリアの人々と接してみて感じたことは、「国貧しくて、民豊かなイタリア」、「国豊かで、民貧しい日本」ということでした。それから30年を経過して、日本は経済的には大きく後退し、いまでは「国豊か」とも言えなくなってしまいました。日本人は過労死するほど働いても経済的にうまくいっていないのです。
  その後、イタリアも経済的危機を経て政治状況も大きく変わってしまい、強いと言われていた左翼勢力は後退し、労働組合も弱体化しているようです(といっても、日本の状況ほどではないことに留意)。ただ、イタリアのバカンスは当時と大きく変わっていないようです。その一つの証拠が、マイケル・ムーア監督の『世界侵略のススメ』(2015年)というドキュメンタリー映画でした。
  日本ではアメリカが「先進国」のモデルとされることが多いと思います。ところが、アメリカ人であるムーア監督は、アメリカ社会の問題点を明らかにするため、欧州諸国に突撃インタビューに出かけます。そして、フランス、イタリア、アイスランドなどの庶民が、アメリカとは大きく違って「豊かな生活」を過ごしていることに驚かされるのです。ムーア監督はイタリアで、30歳代の労働者夫婦をインタビューします。年間4週間も有給でゆっくりと二人で休暇を楽しんでいました。その話の後、「憧れているアメリカに移住したい」という男性(夫)に、ムーア監督は「アメリカでは法律で保障されている有給休暇は『ゼロ』だよ。それでもアメリカに来たいのかい?」と尋ねます。するとイタリア人夫妻は「信じられない」という顔をして絶句してしまいました。
 
 日本以上に休暇貧困大国のアメリカ
 そうなのです。アメリカは「先進国」の中で有給休暇を権利として法律で定めない唯一の国なのです。連邦法では、日本の労働基準法に当たる「公正労働基準法」がありますが、休暇、病欠、連邦その他の祝日について賃金支払いを義務化していません。こうした手当は、使用者と被用者(労働者)の間の契約事項とされ、休暇について賃金を支払うかどうかは使用者次第です。そして、使用者(会社)ごとに有給休暇が定められているので、労働者の4人に1人は、そうした有給休暇や有給祝日をまったく与えられていません(2013年調査)。〔Newsweekニューズウィーク日本版2017年5月31日「アメリカ人も有給休暇を取りづらい 最新調査で明らかに」〕
 さらに、有給休暇があっても「消化しにくい」と考えているアメリカ人が多いこともわかりました(全米旅行協会・2017年調査)。その理由として、26%が休暇を取ると「仕事に献身的でないと思われそう」、23%が「自分の代わりがいると思われてしまう」、21%が「昇給や昇進のチャンスを逃すかも」と答えたということです。しかも、30代半ばの女性に、「罪悪感」を感じたり、「代わりがいると思われる」ことを恐れて休みを取ると仕事を失うかもしれないと思う人が多いことも明らかになりました。〔Newsweek・同上〕
 
 「労働法のない国」を目指す安倍政権
  アメリカは「世界で一番企業が自由な国」です。OECD諸国は共通して「解雇には正当な理由がいる」という法規制を定めていますが、アメリカだけは違います。アメリカでは、「使用者(企業)による解雇が自由で、労働者はいつ職を失うか分からない」のです。単純化して言えばアメリカは「労働法がない国」です。
  安倍首相は、日本を「企業が世界で一番自由に活動できる国にする」とし、それを妨げる「岩盤規制」を壊すと宣言しました。そして、派遣法「改悪」(2015年)に続き、「高プロ」制導入(2018年)を強行しました。さらに、「雇用によらない働き方」拡大の議論を進めています。これは、労働者を「名目だけの自営業者」ということにして、労働基準法や労働組合法の適用がされない状況で働かせることを狙うものです。まさに、日本を「労働法がない国」=アメリカの状況に大きく近づけようとするものです。
 
 国連・ILO・OECDと「休息の権利」
  これまで国連は「国際人権規約」で公正な労働条件保障を各国に求め、ILOは「ディーセントワーク(人間らしい労働)」実現を基本原則に掲げました。OECDは新自由主義拡大の結果、働く貧困層(ワーキングプア)が大きくなった弊害を深刻な問題と考え、社会的格差を縮小するために政労使の「社会的対話」を重視する「包摂経済(inclusive economy)」を目指しています。要約して言えば、企業優先ではなく労働尊重という考え方です。
  国連人権規約(社会権規約)第7条では、「公の休日についての報酬」を保障しています。ここで言う「公の休日」とは、日本では「国民の祝日・休日」などが該当すると思います。ところが、日本は、この「公の休日についての報酬」について「留保」しました。つまり、日本国内では、公の休日の有給化をしないということです。韓国では、官公署に勤務する者は有給とされ、民間では就業規則で有給・無給が選べますが、事務職ではほとんどが有給になっているとのことです。日本でも、公の休日を有給化すれば、10連休のかなりが有給化されることになり、賃金を失わない労働者が増えて「影」の部分を少なくできることになります。
  そして、年次有給休暇を、ILO条約の最低基準(3労働週)、さらには欧州並みの4労働週(28日)に高めることが必要です。そのためには、年休を消化できない様々な障壁をなくしていくことが必要です。年休取得について、労働者間でも正規雇用と非正規雇用、大企業と中小零細企業、男性と女性などの分断が広がっています。
 
 派遣労働者に不利な年休制度
  労働基準法の最低基準では、年次有給休暇日数は半年勤務で10日、勤務年数が増えるほど日数も増えて7年勤務で上限20日になります。これは定年まで同じ使用者の下で働く正社員を念頭に置いた制度です。しかし、使用者が短期間で変わる派遣労働者や有期雇用労働者の場合には、同じ使用者の下での勤続期間が短く上限に達しない場合が少なくありません。派遣労働者として20年間働いても、派遣会社(使用者)が変われば、年休日数はゼロにリセットされるのです。
  派遣労働の利用によって派遣先事業主は、正社員を雇用し続けて年休が行使されたときの人件費を節約することができることになりました。その差額(節約額)は派遣法施行33年間で膨大な金額に達しています。企業が得た膨大な「利益」は、労働者が本来の権利が行使できないことによる「不当利益」と言うしかありません。派遣労働者の場合には、派遣元事業主が変わっても勤務年数を通算するなど、特別な制度を作って労働者に一方的に不利な扱いを立法的に改めるべきです。しかし、安倍政権が言う「働き方改革」の中には、派遣労働者だけでなく、正社員の「労働移動促進」も構想されていますが、年休権保障のための勤務年数通算などの論点はまったく提起されていません。
 
 権利としての休息の保障
  働く者であれば、誰でも「休息」を権利として保障しなければなりません。それが「労働尊重」の当然の帰結です。非正規雇用形式であっても差別的な扱いは許されません。また、自営業形式の就業者であっても労働者と変わらない実態があれば、「労働尊重」の考え方に基づいて、労働法を適用ないし準用して休暇を権利として保障することが必要です。様々な分断や脱法行為をそのままにしていては「休暇を権利として確立すること」はできません。権利は英語では「right」ですが、この言葉には「正しい」という意味が含まれています。
  働く者であれば、誰であっても公正に保障される権利として長期休暇を享受(きょうじゅ)できるようにすることが必要です。権利として休暇を保障するためには、使用者や政府だけでなく、労働者同士でも相互の状況や問題点を共有し、相互に権利行使を尊重するという社会意識を形成することが必要だと思います。労働組合や市民団体、マスコミが積極的に議論を提起していくことが必要です。
 
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□Newsweekニューズウィーク日本版2017年5月31日「アメリカ人も有給休暇を取りづらい 最新調査で明らかに」
□連続エッセイ – 第6回 働き方改革法 年5日の年休時季指定義務化について
 

 

 

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