働き方改革 安倍政権に騙されるな! /下 「ホワイトカラー・エグゼンプション」

 2017年2月6日サンデー毎日 毎日新聞記者・東海林智
http://mainichi.jp/sunday/articles/20170206/org/00m/040/003000d

「同一労働同一賃金」のブラックなたくらみ

 「働き方改革」。この言葉が新聞やテレビに登場しない日がないほど、今や焦眉(しょうび)の社会的なテーマになっている。働き方改革はもちろん実現しなければならない。しかし、安倍政権のそれは、簡単に賛成できるようなものなのか。前号に続いて厳しく検証する。

 前号で、政権が長時間労働撲滅を叫ぶ一方で、長時間労働を助長するような「高度プロフェッショナル制度」(ホワイトカラー・エグゼンプション=WE)の導入、裁量労働制の営業職などへの対象拡大が、労働基準法改正案として国会に出されていると書いた。長時間労働削減とは真逆といわれるこの制度がどういうものなのかを具体的に説明したい。

 この制度は、第1次安倍政権でも登場し、「残業代ゼロ制度」と批判を浴びて撤回に追い込まれたものと骨格は一緒だ。高い年収の労働者を、1日8時間・週40時間などでおなじみの労働時間規制から除外しようとするものだ。前回はその対象を「管理職一歩手前」と定めたが、今回は「高度で専門的な業務」と変えた。だが、実質的には大きな違いはないものと見られる。また、年収は900万円以上とされていたのが、1075万円(労働者の平均年収の3倍相当程度上回る)に引き上げられた。さらに、健康確保措置が義務づけられたことなどが前回からの変更点だ。多少、変更はあるが、ほぼ同じ制度だ。

 それでは、制度の核心である労働時間規制からの除外とは何を意味するのか。時間規制は「これ以上働かせてはいけない」と定めたもので、これが適用されなくなる。規制がないのだから規制以上に働くこと、つまり「残業」(時間外労働)という概念がなくなることを意味する。「残業代ゼロ制度」との批判はここからきている。規制がない以上「いくら働かされるか分からない」との不安は当然生じる。何しろ、規制があってもこれだけブラックな働かせ方が蔓延(まんえん)しているのだから。

 ところが、政府はこの制度をこんなふうに説明している。「高度な人材が労働時間を気にせず、自分のペースで働くことができる。自由な働き方が可能になり、生産性も上がる」「時間を気にせず働く」。労働時間規制がじゃまだという本音が見える。

 労働者はどう思っているのか。外資系の会社で金融商品や経済動向の分析リポートを書いている男性(37)に聞いた。男性は年俸制で、年収は1200万円。自分で働く時間を決められる裁量労働制で働いているが、働く時間に裁量の余地はないという。朝一番のリポートは午前7時に流さなければならない。そのため、夜中の3時ごろから自宅で海外の金融動向をチェック、午前5時台の電車で会社に向かい1本目の分析を書く。その後も市場の動向や経済のトピックをチェックしながら1日に10本前後のリポートを書く。昼食は朝買っておいたサンドイッチなどの軽食を自席で済ませる。外に食べに行く余裕はない。夕方5時前後には仕事をほぼ終える。この頃には在社時間は11時間に達する。何もなければ、このまま帰るが、� !

�後5時に会社を出ることはまれだ。上司から「特別リポート」の発注があれば、応えなければならない。発注がない時も、まっすぐ帰宅とはいかない。同業者や金融関係者との情報交換などに時間を使う。裁量労働といっても、やはり自分に裁量はないと思う。男性は、
 「一応専門職で、自分の判断で仕事はできるが、自分の仕事が終わったら、『はい、さよなら』とはいかないのが実情。上司は上司で仕事を抱えており、こっちが早く終わったと見るや、抱えた仕事を回してくる。外資なのに日本支社はこうだ。新しい制度ができても『自由に働ける』なんて夢物語」
  と話す。実は、男性より二つ上で同じような仕事をしていた友人が、2年前に突然死している。友人は休日の土曜日にジョギング中に倒れ、亡くなった。男性は「過労死だと思いますよ。同じように働いていますから。(労働時間規制で)時間に縛られるのを不便と思う時もあるが、それより何の歯止めもない中で働かされるほうが怖い」と本音を語る。

ほとんどの正社員が残業代ゼロに!?

 また、政府は「労働時間に縛られない賃金スタイル」と、この制度が「成果型賃金」を提唱しているかのように説明する。しかし、成果型賃金を導入するのに、労働時間規制を除外する必要はないだろう。実際、2000年代前半に多くの大企業が導入している。つまりは、論点のすり替えなのだ。何も新しいスタイルではなく、労働時間規制から除外したいだけなのだ。ちなみに、改正案には制度の対象となった労働者が「自ら労働時間を決めることができる」とは、どこにも書かれてはいない。「専門的で年収も高いから自分で決めることができるのでは」という“期待”を語っているにすぎない。

 年収要件にもふれよう。制度の対象となる年収1075万円以上の労働者は全体の約3・8%(管理職含む)である。このことから、厚生労働省は「対象はほんの一部の人だけ」とも言う。しかし、経団連の榊原定征会長は「少なくとも10%に対象を広げて」と早くも“要求”を口にしている。

 労働者派遣法が非常に限られた職種を対象に限定的に始まったのを覚えているだろうか。派遣は今ではほぼ全ての職種に広がっている。いったん制度ができてしまえば、財界の要求であっという間に対象は広がってしまうことがよく分かる。財界の狙いは「労働者の10%」程度では、実は済まない。前回、WEが提案された時に経団連は「年収400万円以上を対象」と主張していた。年収400万円となれば、正社員のほとんどが対象になるといって過言ではない。ということは、正社員から残業時間という概念はなくなってしまうことに等しい。

 そんな悪夢が現実になるとは思いたくないが、少なくともこの制度が導入されれば、その突破口は開かれてしまう。

 働き方改革の背景に「労働力不足」

 とはいえ、長時間労働の削減には安倍政権も具体的な動きを見せている。特に15年12月に電通の新入社員だった高橋まつりさん(当時24)が、長時間労働やパワハラ・セクハラが原因で自殺、労災認定されたことが明らかになると、長時間労働を具体的に削減する動きが加速した。安倍首相や塩崎恭久厚労相はたびたび「長時間労働撲滅」を口にしている。また、電通をはじめ、過労死を出した企業には労基法違反の責任を問うなど厳しい姿勢も示している。だが、過労死問題に詳しい弁護士は「過労死企業への厳しい姿勢はパフォーマンスにすぎない」と断じる。その理由を「過労死を出した企業は何社もあるのに、厚労省は企業名すら公表しないのが実情。名のある企業を挙げてアピールしているだけだ」と本気度に首をかしげ� !。

 直接的な労働時間規制では、青天井だった残業時間の上限設定に着手した。これまでは、労使が「36協定」を結ぶと1日8時間、週40時間を超えた場合、残業が認められた。厚労省は、残業は月45時間以内、年360時間以内を望ましいとしていたが、労使で特別条項に合意すれば、年6カ月までは、実質上限のない残業を設定でき、過労死ラインの100時間(月)の倍の200時間などの長時間残業が許されてきた。それを、月平均60時間、年間720時間を上限にする方向で検討している。

 青天井と比べれば、前進ではある。だが、繁忙期(6カ月間)には、月最大100時間、2カ月の月平均80時間を認める方向だという。100時間、80時間(2〜6カ月の平均)という「過労死ライン」をぎりぎり下回るレベルである。なのに、財界からは「一律的な規制強化は国際競争力を衰退させる」(新経済連盟の意見書)などの声が出ているのだ。

 産業ごとに事情が違うということは分かる。しかし、労働時間規制がなぜ必要なのか。それは、働く者の命を守るためだ。過労死ラインが業種によって違うべきなのか。命を守る基準だということが理解できていないとしか思えない。新経連は、ネット企業が多く加盟する団体だ。長時間労働で若者を使い潰すと指摘される業界であることを付け加えておきたい。

 政府は残業の上限規制を進める一方で、勤務終わりから次の勤務までの休憩時間を規制するインターバル規制は「時期尚早」とした。例えば、欧州で導入されている「勤務と勤務の間を11時間空ける」などの規制が入れば、連続する長時間労働を防ぐことが可能になる。連合など労組は「上限規制とインターバル規制がセットで初めて効果が出る」と主張しているが、まともに検討もされていない。WEを含んだ労基法改正案を引っ込めないまま働き方改革を主張する政府に、過労死、過労自死の被害者家族で作る家族の会などは「ブレーキとアクセルを同時に踏んで何の効果があるのか。まず、長時間労働を削減して過労死撲滅という成果を上げるのが先だ」と訴えている。

 このように、根本には「雇用の流動化」など労働の規制緩和を進める姿勢の安倍政権が、なぜ、前述したような非正規の一掃や同一労働同一賃金、長時間労働の撲滅を言い始めたのか。
 
 それは、これから始まる労働力不足が深刻なことが背景にある。人材会社のパーソル総合研究所の「労働市場の未来推計」(16年)の試算によると、25年には583万人の労働力不足が生じるとしている。こんな状況では経済成長など期待するべくもない。不足を補うためには女性労働者を増やし(350万人の供給増)、高齢者には70歳まで働いてもらう(167万人増)、生産性の向上、外国人労働者の増加などで補う必要があるという。状況は逼迫(ひっぱく)している。そんな中で、現状のような長時間過重労働、非正規労働者の低い処遇が、働くことのモデルになっているような労働の在り方を改めなければ、女性や高齢者の労働市場への参入が見込めないからだ。

 しかし、急きょ、言い始めたそれらの施策は功を奏するのか。例えば、16年12月にまとめられた同一労働同一賃金の実現に向けたガイドライン(指針)は、非正規であることを理由とした「不合理な待遇差を認めない」ことを基本に据えた。だが、賃金の骨格となる基本給では「能力、経験が正社員と同一なら同一の支給を、違うなら違いに応じた支給」を基準として示し、同じ仕事でも賃金差を認めるとした。「同一なら同一の支給」とした点を評価する声がある一方、賃金差が生じる場合でも、その理由を労働者に説明する義務を雇い主に負わせていないことから、効果を疑問視する声も多い。スーパーの鮮魚売り場で10年以上非正規で働く女性(42)は「説明しないなら、結局うやむやで、これまでと変わりない。私らは同じ仕!

事をする正社員がいくらもらっているかも知らない」と憤る。この女性はガイドラインに退職金への記述がないことも不満だ。女性は「退職金が賃金の後払いだとしたら、それも含めて同一賃金を考えるべきではないんでしょうか。同じ仕事を何年やっても非正規というだけで退職金が出ないのは、やはりおかしい」と訴える。

 財界の要望に応える「労働政策」のツケ

 今回のガイドラインで、交通費や慶弔休暇などの手当や福利厚生は同一額を支給するよう書かれた。事務で働く派遣の女性(33)は「正規も非正規も会社に行くために地下鉄に乗れば同じ170円がかかる。そんな当たり前のことがこれまで認められていなかった。やっと人間として扱っただけじゃないか」と憤る。また、「賃金は派遣料金が上がらないと上げないとも言われた。まったくの期待外れ」と収まらない。

 女性は働く人の半数以上が非正規だ。それだけに「同一労働同一賃金」への期待も大きかった。現在出ている内容は、その期待に応えているとは言い難い。

 そもそも、少子・高齢化が叫ばれてきた日本では、労働人口の減少は何年も前から目の前にあった課題だった。

 だが、安倍政権はじめ歴代の政府は、そのことに正面から向き合わず、財界の要望に応える労働政策を進めてきた。

 今の政府は、新学期を前に手つかずの夏休みの宿題に真っ青になっている小学生と同じだ。

 なのに、そのことを国民には正直に述べず、働き方改革を「究極の成長戦略」と言い、開き直っているように見える。安倍政権が「企業が最も活動しやすい国」とうたう以上、その戦略が本当に私たちのためのものなのか、疑う必要がある。言葉に一喜一憂せず、その狙いをしっかりと見極めなければならない。

とうかいりん・さとし

 1964年生まれ。毎日新聞記者。『サンデー毎日』、社会部などで、労働問題や貧困問題などをテーマに取材を続けてきた。著書『貧困の現場』で日本労働ペンクラブ賞、新聞報道で貧困ジャーナリズム賞などを受賞
 

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