筑摩書房 PR誌『ちくま』09年6月号掲載
去る三月三〇日の「朝日新聞」に「サラリーマンの昭和史」というタイトルの二面にわたる記事が出た。そこに私のコメントが載った縁で、後日、この記事を書いた記者の一人の阿久沢悦子氏から国会図書館でコピーしたという貴重な資料をいくつかいただいた。
その一つは一九二七年(昭和二年)に社会民衆党の小池四郎が著した『俸給生活者保護法』という表題の「十銭パンフレット」である。
それは「あらゆる俸給生活者諸君! 会社員、銀行員、商店員、官吏、公吏、教員、新聞記者、職業婦人、医師、弁護士、工場事務員、技術家、芸術家、著述家、その他一切の俸給生活者諸君!」という呼び掛けで始まる。つづいて、最低俸給制の確立、八時間勤務制の確立、週休制度の確立、団体交渉権の確認、解雇手当制の確立、時間外勤務制の廃止、俸給に対する男女差別の撤廃、分娩前後各八週間の休養並びにその期間中の俸給全額支給、俸給生活者保護法の制定、健康保険料金の政府資本家全額負担、失業手当法の制定など二五項目の要求を掲げ、男女の俸給生活者の置かれた現実を次のように書いている。
「この不景気の深刻化は、われらの僅少な俸給をさらに削り、零細な賞与をさらに減らすであろう。(中略)事業不振の名の下に、商店は閉ざされ、事業整理の結果、会社は合併せられ、回収不能と取付けのために、銀行は休業して、われらの同僚は続々と失業している。今からくも職に就いているわれらとても、いつなん時解雇の憂き目に遭うかわからない。(中略)おおよそ今の世で悲惨を極めたものは、俸給生活者の生活ではあるまいか。われらはいま真剣にわれらの生活を考えなければならない」(現代仮名遣いに改めた)。
昭和初期と現在とでは時代はまったく異なるが、これを読めば、今から八〇年余り前の不況下の俸給生活者は、新刊の拙著『貧困化するホワイトカラー』のなかの男女と非常によく似た窮状に置かれていたことがわかる。
このパンフレットによれば、一九世紀末から二〇世紀初めにかけて急激に増大してきた俸給生活者は、第一次大戦後の資本主義の行き詰まったもとでは、新中間層としての特殊な社会的地位にありながら、しだいに貧困化させられている点でも、常に失業の脅威にさらされている点でも、賃金労働者(工場の筋肉労働者)に接近している。
これとよく似た描写は、拙著の第1章「悲しき中流階級――ホワイトカラーの原像」で取り上げたライト・ミルズ『ホワイト・カラー――中流階級の生活探求』(杉政孝訳、創元社、一九五七年、原書は一九五一年)にも出てくる。このホワイトカラー論の古典よりも四半世紀も早く、アメリカに比べ資本主義の発達が数十年は遅れていた日本で、ホワイトカラーの社会的地位についてミルズに近い認識があったことは注目に値する。それは、マルクス主義の影響の強かった当時の社会科学における階級論の国際的な共通認識であったものと思われる。そのことはさきのパンフレットの典拠を伏せた外国文献からのあれこれの引用部分に明瞭に示されている。
『貧困化するホワイトカラー』の終章では、「ユニオン力で反撃する」という一節を設け、今日のホワイトカラーの状態を改善するための労働組合の役割について述べた。それもあってさきのパンフレットで目に留まったのは、大正から昭和にかけてのサラリーマンユニオン(SMU)の運動である。
日本におけるSMU運動は一九一九年(大正八年)に始まる。それから九〇年、日本のホワイトカラーは幾多の変遷を経て大企業と官公庁の労働組合に無視できない地歩を築くとともに、組織率の上昇と低下を経験してきた。いま戦後未曾有の賃金低下と失業の脅威にさらされているなかで、ホワイトカラーのこれ以上の貧困化をくいとめるために、SMU運動の再興が求められているのではないだろうか。