第287回 神戸新聞 随想第1回 子どもの頃に聞いた挨拶

 (「神戸新聞」の夕刊に8人の筆者のリレーで5月から月2回随想を書いてきました。8月25日掲載予定の第8回で最終です。今回は第1回から第4回までを本欄に転載します)。

神戸新聞 2015年5月7日

ある随筆を読んでいると、「労」の字に「労(いたわ)る」とルビが振られ、送り仮名が添えられてあった。

辞書を引くと、この字には「働く」「疲れる」という意味のほかに、「いたわる」「ねぎらう」という意味が載っている。

それで子どもの頃によく聞いた挨拶を思い出した。私の育った田舎では、朝晩の挨拶のほかに四季折々の農作業に関わる挨拶があった。

よく耳にしたのは「お暑うございます」と「お寒うございます」である。どちらにも、時候の心遣いと、仕事に対するいたわりがあった。梅雨のじめじめした日には、「うっとうしゅうございます」と言った。

野良や道で「お酷(ひど)うございます」と声を掛けることも多かった。この場合は、「精が出ますね。お疲れが出ませんように」というねぎらいの気持ちが込められていた。母は遠くから来た客にも、「くたびれたでしょう」という意味でいつもこの挨拶をした。

昨今の職場では、目上の者と目下の者、あるいは上司と部下のややこしい関係があって、「お疲れさま」や「ご苦労さま」も、気軽に言いにくい雰囲気がある。言っても何か心のこもらない、味気ない感じがする。

今では、自然に口をついて出る、仕事に対するいたわりやねぎらいの言葉を昔ほど聞かなくなってきた

それは、生活が都市化して、人びとの絆が弱まってきたからだけではないだろう。

仕事がきつくなって、ゆとりがなくなり、働く人びとがお互いを思いやる気持ちが薄れてきたことと無関係ではないように思う。

 

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