第141回 大阪府知事の教育論は百パーセント間違っています

6月10日の「毎日新聞」の「記者の目」に、大阪府議会で「君が代起立条例」が成立したことに対して、「さまざまな考えを学び合うはずの学校が、一つの型にはめ込まれようとしている。子どもの将来を思うと、取り返しのつかない道を進んでいる気がしてならない」と批判する記事が載っています。

それに橋下府知事がTwitterで噛みついて、「教育とは2万%強制です」「生まれたての赤ちゃんから大人になるまで、教育は強制そのもの」と、つぶやくというより、なじっています。「ほっといたら、挨拶だってできません。おしっこだって、その辺でし放題」。だから強制が必要だというのです。

MLで伝わってきたこの話を読んで、私は腹が立つというよりも、あまりのいいかげんさに呆れました。あれは教師に強制するための条例だとばかり思っていましたが、「教育は強制」と言い放ち、その一例として子どもの躾の話をしているところをみると、あれは、子どもに対して強制教育を推進するために制定した条例だったのでしょうか。結局、教師に強制したいのか、子どもに強制したいのか、はたまた教師にも子どもにも強制したいのか、そんなことなどどうでもいいような、いいかげんな人物のいいかげんな思いつきだったのしょうか。

「教育は強制」と強弁して憚らない怖知事は、日本語で言えば、「させる」と「しましょう」の違い、英語で言えば、make (強制使役)と let(自発使役) の違いもわからない粗野な暴君です。

永井愛という劇作家がいます。作品には『歌わせたい男たち』という君が代強制問題に題材をとった抱腹絶倒のドラマもあります。『ら抜きの殺意』という芝居では、彼女は、言葉の問題をテーマに、最近は若者を中心に「ら抜きことば」が広がっていることや、日本語の女言葉には命令形がないことを、おもしろおかしく取り上げています。

私は永井さんの『ら抜きの殺意』をテレビで観て以来、女言葉には命令形がないとことを日本語のジェンダーの問題として、ネガティブに考えていました。しかし、「教育は強制」という知事の言を聞いて、目から鱗というか、女言葉に命令形がないことは教育の本質に根ざしていることで、そもそも教育には命令はなじまないことに気づかされました。

日本の父親たちは、子どもに何かをさせたいとき、「やれ」あるいは「しろ」と命令形で言いがちです。ところが、母親たちは、たいていの場合、子どもに対しては「してちょうだい」「したらどう」と依頼形で言います。このことは、家庭内の教育や躾は、一方的な命令形ではうまくいかないことを証明するるものです。男たちは、日頃、子どもと接する機会が少ないために、安易に命令しがちですが、いつも子どもと接する母親は、命令では反発を招くだけで躾はできないことをよく知っているので、なさるいう敬語動詞の命令表現として「しなさい」と言う場合はありますが、むき出しの命令形は使わないのです。

乳幼児の躾で親たちが苦労するのは「おしっこ」や「うんこ」などの排泄ですが、「教育は強制」と言う父知事は、こどもは命令すれば、「おしっこ」を自分で言い、自分でするようになるとでも思っているのでしょうか。Twitterで「挨拶だって」「おしっこだって」と書いているところをみると、本気でおしっこの躾は強制しなければできないと考えているのかもしれません。

しかし、わかりきったことですが、おしっこの躾は強制では百パーセントできません。そんなこともわからない人物が知事であることをとても悲しく思います。

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