第31回 過労死・過労自殺のない社会を実現するために わたしたちにできること

過労死・過労自殺のない社会を実現するために わたしたちにできること

市民団体が開いた過労死防止シンポジウム

 政府は、毎年11月を「過労死防止月間」と位置づけ、全国各地で「過労死等防止対策推進シンポジウム」を企画し、また、「過重労働解消キャンペーン」などを通じて、国民に自覚を促し、過労死について関心と理解を深めるための啓発活動を実施しています。こうした活動の根拠となったのが、2014年に制定された「過労死等防止対策推進法」です。

 今年、私は、政府・厚労省の主催ではなく、11月30日(土)、龍谷大学深草学舎で開かれた、京都の市民団体が主催するシンポジウムに参加しました。「過労死・過労自殺のない社会を実現するために わたしたちにできること」をテーマにした集会です。2015年12月、電通の新入社員であった高橋まつりさんが過労死しました。この集会では、まつりさんのお母さんである高橋幸美さんが「娘・高橋まつりの過労死と向き合って−学生と一緒に考える」と題する話をされるということで注目されました。

 最近の若い世代は社会問題、とりわけ労働問題には関心がないと言われます。この市民団体がこれまでに開催してきた集会では、平和や民主主義を取り上げてきたこともあり、高齢者が多かったようです。しかし、当日、会場に入ってみると、予想に反して学生と思える20代の若い参加者がかなり参加していました。図書館で勉強していたところ、集会で高橋幸美さんが話されることを友人から聞いてやってきた学生もいたとのことです。就職先の企業が新入社員を過労死させる「ブラック企業」であるか否かは、避けることができません。どこまで深刻に考えているのかは分かりませんが、学生にとって切実な問題であるのは間違いありません。

 集会では、龍谷大学の経営学部のゼミに所属する4人の学生から高橋まつりさんの過労死にかかわる質問が出され、それに幸美さんが答えるという形で進められました。幸美さんは、一つずつの質問に対して、いくつかのエピソードを思い出すように、とても丁寧に話されました。まつりさんは、明るくて活発でしっかり勉強する普通の学生であったこと、社会で役立つ仕事をしたいと出版社でアルバイトをしていたこと、また、試験を受けて中国に留学し中国語が話せるようになって帰って来たことなどが話されました。明るく積極的でまじめに努力する優秀な学生であり、とても前向きな考えをもっていた高橋まつりさんの姿が浮かびました。

 ところが、希望して入社した電通でしたが、実際の働き方は過酷でした。入社半年後、試用期間が終わってから業務担当者の人数が大きく減らされたため、仕事量が急に増えたこと、担当したネット広告関連業務はアクセス数などを細かくチェックする単純業務で夜遅くまで長時間働かざるを得なかったこと、忙しい新入社員に担当業務以外の仕事も回されたこと、上司や先輩社員からの厳しい言葉や扱いがあったことなど、お母さんはとつとつと話されました。また、働いているまつりさんのことを知っている方から、まつりさんが入社当初は元気な印象だったのに時間を経るにつれて大きく変わっていったという証言もありました。

 関連した文献や記事によれば、電通は広告業界で圧倒的な占有率を持っています。売り上げでは業界全体の30%水準で、業界2位の博報堂の2倍にも達しています。とくに、TV広告では、広告主募集で電通への依存が大きくTV業界での電通の影響力は絶大だと言われます。ただ、広告がTVからインターネットに比重が移りました。電通でも売り上げの50%にまでネット広告が増加したとのことです。ただ、ネット広告はTV広告などと違い、広告への照会(チェック)数を根拠に収入が発生します。まつりさんが担当させられたのは、まさに、この手間のかかるチェック業務でした。現在ではシステム上、自動化されつつあるようですが、当時、電通は人員補充をするどころか、担当者を削減して既存社員の負担増で乗り切ろうとしました。人員増による費用負担を嫌っての対応だと推測できます。高橋幸美さんの話を聴きながら、大事な新入社員の健康や生命よりも、企業利益を優先する電通の「企業体質」について考えていました。

「鬼十則」と「軍隊的社風」ブラック企業

 電通と言えば、1947年第4代社長になった吉田秀雄氏の「鬼十則」(1951年)が有名です。「鬼十則」には、「仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない」「仕事とは、先手々と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない」「大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする」「難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある」「取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……」など、社員を仕事にあおり、駆り立てる言葉がこれでもかと並んでいます。

 電通(「日本電報通信社」が前身)は、1947年、吉田社長が就任して「電通」として復元しました。「鬼十則」が出された1951年は、GHQが「逆コース」と呼ばれる反動期に入り、戦争直後の労働政策を大きく後ろ向きに転換し、労働組合弾圧する方向に変わった時期です。この時期に、電通は、旧満州国や満州鉄道関係者、旧軍人、さらに、戦争責任を問われて公職追放されていた戦前・戦中の新聞業界の重要人物を会社幹部として迎え入れています。

 「鬼十則」は、現代流に言えば、「ブラック企業」の思想そのものです。私は、電通が誕生する歴史的経緯から、「鬼十則」には旧日本軍の古くさい考え方の臭いがしてなりません。ブラック企業の多くは、経営者が「カリスマ」的に独裁権限を振るいます。その専権的支配のもとで業績拡大や海外進出という目標が絶対化され、従業員を「企業戦士」として過密労働に駆り立てています。「ブラック企業」では、労使対等の民主的労働関係は存在しません。「軍隊的社風」のなかで、労働組合を作ることなど許されるものではないからです。まさに、戦前日本の軍隊で見られた、?将校、?下士官、?兵士に酷似した、上意下達の身分的・階級的序列関係が生み出されています。*
〔*注〕 脇田滋「『ブラック企業型労使関係』ではなく、働く者に優しい労働政策を!」労働法律旬報2014年1月25日45-48頁。

 「ブラック企業」は、若者の就職難に乗じて労働者を劣悪条件で募集し、カリスマ経営者の「理念集」を暗記させるなど、「マインドコントロール」をしたうえで、人間としての尊厳や生命を軽視して、「兵士」のように使い捨てるのが特徴です。2008年、森美菜さんを過労自殺に追いやった外食産業「ワタミ」の会長・渡邊美樹氏の考え方にも「鬼十則」と共通した点が見られます。しかし、電通の「鬼十則」こそ「軍隊的社風」の日本的ブラック企業の思想を表現した元祖であると思います。とくに、「取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……」など、生死を持ち出す社訓は尋常でありません。「死は羽毛よりも軽いと覚悟せよ」とした日本軍の発想そのものです。

 労働法の視点から見れば、「鬼十則」は日本国憲法に基づく労働基準法や、国際労働機関(ILO)が強調する労働尊重の考え方とは真逆(まぎゃく)です。働く人の個人としての尊厳、自由、生活、権利などの尊重(リスペクト)がまったく見られません。とくに、ILOは「全ての人にディーセント・ワーク – Decent Work for All- 」の実現を目指していますが、ディーセント・ワークとは、権利が保障され、十分な収入を生み出し、適切な社会的保護が与えられる生産的な仕事です。「働きがいのある人間らしい仕事」とも言い換えられています。その仕事は、権利、社会保障、社会対話が確保されていて、自由と平等が保障され、働く人々の生活が安定する、すなわち、人間としての尊厳を保てる生産的な仕事」と表現されています。*
〔*注〕 ディーセント・ワークは、1999年の第87回ILO総会でファン・ソマビア事務局長が初めて用いた用語ですが、その後、ILOの活動の主目標とされています。(https://www.ilo.org/tokyo/about-ilo/decent-work/lang–ja/index.htm)。

2000年最高裁判決を軽視し、再発防止策徹底の約束を破った電通

 「過労死」を生み出す背景は複雑です。多くのことを指摘することができると思います。電通事件から私が痛感するのは、企業の反労働法的な労務管理に対して、労働法が実効的に機能してこなかったということです。とくに、電通という日本を代表する広告業界の大企業が、「鬼十則」という、労働法を真っ向から否定する異常な思想を維持してきたことは深刻です。

 電通では、1991年8月、前年に入社した新入社員(大島一郎さん)が、長時間過重労働の結果、自殺するという事件がありました。両親を原告とした民事裁判が争われ、最高裁が、2000(平12)年3月24日の判決で会社側の上告を棄却した上、原告敗訴部分を取消し高裁へ差戻すという画期的な判決を下しました。東京高裁で、2000年6月に、?会社は遺族 (両親)に謝罪するとともに、社内に再発防止策を徹底する、?会社は一審判決が命じた賠償額(1億2600万円)に遅延損害金を加算した合計1億 6800万円を遺族に支払う、という趣旨で合意し和解が成立しました。かつてない高額の損害賠償が認められたということともに、最高裁が過労自殺について判断を下したことは重要な意味を持ちました。

 この電通事件・最高裁2000年判決は、同年の過労死をめぐる2つの判決(東京海上事件、淡路交通事件)と合わせて労働行政にも大きな影響を与えました。厚生労働省は、翌年に「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準について」(2001年12月12日基発第1063号通達)、いわゆる「過労死認定基準」を大幅に改定しました。また、過労自殺についても、その後、労災認定が広がり、認定基準が定められるきっかけになりました。

 ところが、2016年10月7日、お母さん高橋幸美さんが記者会見で、2016年9月、労働災害と認められたことを発表されました。それによって、前年(2015年)に娘の高橋まつりさんが過労自殺に追いやられていたことが明らかになりました。2000年に、電通は過労死再発防止策の徹底を約束していたことが広く知られていました。にもかかわらず、再び同じような事件を起こしたことで、世論の厳しい批判を受けることになりました。実際には、2013年6月、当時30才の男性社員が過労死しており、2014年6月、関西支社が、2015年8月、本社が労働基準監督から長時間過重労働をさせていたことについて是正勧告を受けていた事実も明らかになりました。

 本日(2019年12月5日)の朝日新聞は、一面で、「電通、『有罪』後も違法残業 18年 最長月156時間 是正勧告」という記事を掲載しました(https://hatarakikata.net/modules/hotnews/details.php?bid=1646)

 高橋まつりさんの事件の後、「法人としての電通が労基法違反容疑で書類送検され、17年1月に石井直社長(当時)が引責辞任。17年10月に罰金50万円の有罪判決が確定し」ていました。しかし、労基法違反2件、安衛法違反1件で、いずれも18年中の法令違反が対象となって、今年9月、三田労働基準監督署(東京)から是正勧告を受けた、という内容です。

日本経団連「企業行動憲章」にも反する電通の労基法違反

 ところで、電通も会員となっている「日本経済団体連合会」(日本経団連)は、企業が高い倫理観と責任感をもって行動し、社会から信頼と共感を得る必要があると提唱してきました。そのため、1991年に企業行動憲章を制定し、企業の責任ある行動原則を定めています。さらに、国際社会の「ビジネスと人権に関する指導原則」(2011年)などを踏まえて、2017年に「企業行動憲章」を改定しました。同憲章の第6項は、次のように定めています。
 (働き方の改革、職場環境の充実)
 従業員の能力を高め、多様性、人格、個性を尊重する働き方を実現する。また、健康と安全に配慮した働きやすい職場環境を整備する。

 電通の二度にわたる新入社員の過労自殺事件や監督署から相次いで勧告を受けているという事実は、日本経団連の「企業行動憲章」にも明らかに反していると思います。

 電通のような大企業は、多くの企業に模範を示すべき社会的責任を負っています。日本経団連の「企業行動憲章」に反する、常習的に法令違反を繰り返す悪質企業ということで、日本経団連としても何らかの制裁を行うことが当然だと思います。そうでなければ、日本経団連も、国内だけでなく国際的に批判を受けることになると思います。労働法的には、売上金額が連結で5兆円(単独1兆円)の巨大法人に対して罰金50万円というのは余りにも軽すぎます。この点では、刑事制裁を格段に厳しくすることが必要だと思います。

過労死防止法の趣旨と相反する「働き方改革」関連法

 上記11月30日の集会で、私が「『働き方改革』関連法と『健康に働く権利』」をテーマに話しました。まず、2014年の「過労死防止対策推進法」は、「過労死」という言葉を法や政策の中に初めて導入したことや、国・自治体が中心となって過労死防止のための調査・啓発・研究などの責務を負うとしました。しかし、実際の労働環境改善の主体となるのは企業ですが、こうした企業に法的義務を課す規制という点では不十分でした。

 実効ある規制のためには、労働基準法や労働安全衛生法などで使用者に、過労死を生む労働環境を改める法的義務を具体的に定める法規制が必要でした。少なくとも、ILO条約・勧告やEUの労働時間指令など世界標準の労働時間規制に追いつくことが必要です。EUの労働時間指令は、?残業時間を含めて1週間に48時間が上限、?勤務と勤務のインターバル(間隔)11時間以上、?年休は4週間以上などを定めていますので、これが当面の目標にすべきだったと思います。とくに、過労死を生む長時間労働規制のために、残業時間上限を短く定める必要がありました。

 ところが、昨年(2018年)、安倍内閣が上程した「働き方改革」関連推進法は、こともあろうに「過労死認定基準」と同水準の月80〜100時間としたのです。これでは残業を削減するどころか、「過労死認定基準まで働かせても処罰を受けない」という誤ったメッセージを企業に送る結果になってしまいます。しかも、労働時間を算定しない働かせ方である「高度プロフェッショナル制度」を導入するなど、長時間労働助長という内容まで盛り込まれたのです。これらは法規制への期待に大きく反する内容でした。森岡孝二さんは、「この法律では過労死はなくならない」と指摘されました。

なぜ、労使協定で最低基準を下回ることができるのか?

 労働法の視点からは、最低基準を下回る「労使協定」が過度に濫用されている問題点を指摘したいと思います。残業時間について事業場単位の「36協定」が労働基準法の法定基準(週40時間、日8時間)を下回る基準設定のために多様されています。また、各種の変形労働時間制や裁量労働制、高度プロフェッショナル制度導入にも事業場単位の「労使協定」が多用されています。なぜ、最低基準である労働基準法の水準を、事業場単位の過半数代表との協定で下回ることができるのか?労働法的にはどうしても納得できない疑問点です。

 本来、労働基準法や最低賃金法は、それ以下の劣悪な労働条件を許さないという意味で最低基準です。労働組合が、労働協約で労働基準法を上回る労働協約を締結したときには、協約の水準に労働条件が引き上げられます。しかし、その労働協約でも労働基準法の基準を下回ることはできません。なぜ、最低賃金法でも、最低賃金は最低基準ですので、それを労働協約で下回る賃金を定めることはできません。まして、事業場単位に過半数代表との労使協定で最低賃金を下回る最低賃金を定めることはできません。ところが、労働時間については、法定基準を下回る長時間労働を事業場単位に定めるというのは理解しがたい点です。

 百歩譲って、1947年に労働基準法が制定された当時、過半数代表は労働組合が念頭にあったので弊害が少なかったと言えるかもしれません。当時、工場や事務所を単位に労働組合の結成が爆発的に増加し、全体の50%を超えるほどの組織率を示していました。残りの未組織事業場でも労働組合結成が期待されていたので、その時期には、労働組合が過半数代表になることが想定されていたと考えられます。しかし、現在は当時と状況が大きく変わっています。労働組合の組織率は毎年、低下を続け、最近では17%しかありません。しかも、大企業では組織率は高い一方、中小零細企業ではゼロに近く、無労組事業場も少なくありません。過半数労働者代表といっても名ばかりの事業場が少なくありません。そうした事業場では、労使協定と言っても実際上は、使用者の一方的な裁量で内容がきまる、形骸的協定になっています。

 過労死にかかわる長時間残業を容認しかねない上に、形骸的な労使協定に多くを委ねるという、「働き方改革」関連法は、森岡さんが的確に指摘されたように「過労死をなくせない」どころか、現状を追認・温存し、使用者の責任回避を助長する改悪法であったと言うしかありません。過労死防止のためには、改めて、EUの労働時間指令などの内容を取り入れた真に過労死を防止できる法規制が必要だということを強調したいと思います。

過労死をなくすための抜本的法規制=「企業処罰法」

ただ、電通など繰り返し過労死を発生させ、法令違反を何度も繰り返す社風を変えるためには従来の発想を越えた思い切った法規制が必要だと思います。この点で韓国では、労働災害による死亡がOECD諸国の中で格段に多いこと、また、セウォル号沈没事件など企業による重大な過失で多くの労働者や市民(学生)が死亡した事件が生じたことがきっかけとなって、「企業処罰法」の制定をめぐる議論が提起されています。議員立法の法案も国会で発議されており、かなり具体的に議論が進んでいます。

 韓国でモデルとされているのは、オーストラリア、カナダ、イギリス3国の「企業処罰法」です。つまり、従業員を死亡させた企業(法人)を処罰するオーストラリア「産業殺人法」〔Crimes (Industrial Manslaughter) Amendment Act 2003〕、カナダ「団体の刑事責任法」〔An Act to amend the Criminal Code (criminal liability of organizations 2003)〕、イギリス「企業殺人法」〔Corporate Manslaughter and Corporate Homicide Act 2007〕の3ヵ国の法制度です。これらの立法を導入した3ヵ国では、法制定後、労災などの死亡万人率が持続的に低くなっていること、単に企業処罰を強化するだけでなく、政府が積極的な企業による災害発生防止の意志を示すこと、具体的には、企業が安全義務違反によって重大災害を起こしたときに対応するべき基準となることなどが、企業処罰法制定の理由とされています。

 こうした「企業処罰法」は、世界の中でも長時間労働を改めることができず、過労死や過労自殺が深刻な問題となっている日本でも導入を検討するべきだと思います。とくに電通事件のような若い労働者の過労死・過労自殺という悲劇を繰り返さないために、どこであっても働く人が健康で働き続けられる職場風土に変えていくためにも、急いで議論すべきテーマだと思います。

 

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