2021年を迎えました。今年はどのような一年になるのか、不安な気持ちで新年を迎えました。
「健康権」を脅かす保健危機
「新型コロナ感染症(covid-19)」が、世界中に広がって前代未聞の大きな被害が発生しています。その状況は、「「コロナ禍」と呼ばれることになりました。この1年間、欧米諸国など、いわゆる「先進国」を含めて「パンデミック」と呼ばれる保健危機が広がっています。1月9日現在で、日本では、感染者27.5万人、死亡者3,746人、全世界では感染者8940万人、死亡者192万人に達しました。21世紀の高度に発展した医療にもかかわらず、グローバル化を背景に、100年前に大流行した「スペイン風邪」以上の大規模健康被害が拡大し続けているのです。
日本では、第二次大戦前、スペイン風邪や結核などの感染症の被害が大きく広がりました。政府は内務省管轄の下、警察署と保健所をセットの形で全国各地に配置し、公衆衛生が重要な行政領域として確立したのです。戦後、日本国憲法が憲法25条で、国民の健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を確認し(第1項)、国は、公衆衛生(public health)の向上・増進の努力義務を定めました(第2項)。
しかし、1970年代後半から、政府・財界は、市場経済優先、効率優先の新自由主義政策を推進し、行政改革という名目で国民生活を守る行政を縮小・後退させる方向へ大転換しました。保健・医療部門でも、「医療費亡国」論を唱えて1980年代以降、医療費削減政策を開始することになりました。また、公衆衛生についても、結核の脅威がなくなったことを主な根拠に「感染症の時代は終わった」と1994年に「保健所法」を「地域保健法」に改めて、保健所と保健所職員を大幅に削減してきました。
〔*昨年、連続エッセイで新型コロナとの闘いをめぐって第38回から5回にわたって、連続エッセイを書きました。とくに、 第40回 保健所機能の大きな後退を招いた政府の地域保健政策-新型コロナウィルスとの闘い(2) 参照。〕
さらに、SARS(2002~3年)、MERS(2012年)、新型インフルエンザ(2009年)など感染症の広がりを背景に、WHOが2005年、各国に感染症対策強化を中心的な内容とする保健規則の改正を提起しました*。日本政府部内でも、新型インフルエンザへの対策の遅れや、WHOなどの国際動向を受けて、感染症対策強化を求める報告書が出されました。
〔*鈴木淳一「世界保健機関 (WHO)・国際保健規則 (IHR2005) の国内実施 - 日本国を例として」独協法学(2013年4月)380頁以下〕、厚生労働省「新型インフルエンザ(A/H1N1)対策総括会議」報告書(2010年) 参照〕
しかし、安倍内閣時代に、その報告を受けた対策はまともに実施されることがありませんでした。昨年のコロナ禍は、日本政府の国内外の専門的科学的な感染症対策強化の要請があったのに、それを軽視し、感染症対策は「空白状態」と指摘されるほどに公衆衛生をなおざりにしてきた日本政府の長年の政策の誤りに大きな原因があったのです。
〔*久保佐世「新型コロナウィルスが明らかにした日本の医療・公衆衛生システムの限界 医療・公衆衛生政策の根本的な転換を」Posse45号(2020年7月)28-40頁〕
「先防疫、後経済」の考え方を基本に
有効な治療薬や予防ワクチンが見つからない状況で、新型コロナ感染症の急激な拡大を抑えるために、世界各国では、人と人の接触機会を減らすという前近代的な対応しかできませんでした。その結果、欧米諸国では、移動制限・営業停止、さらには都市封鎖(lock down)などの強制措置を行ったために、経済活動が大きく停滞することになりました。働く機会を失った多くの人々は、輸入を得ることができず、深刻な生活困難が発生することになりました。
ただ、ニュージーランドや、アジアの台湾、ベトナム、シンガポール、韓国では、感染症対策が徹底して進められたことから、強制措置が執られなかったり、その時間的・場所的範囲が限られたために、これまでのところ経済的な影響はかなり小さく済んでいます。ニュージーランドなどの諸国は感染症対策と経済対策を対立的に捉え得るのではなく、まず、人々のいのちと健康を守る感染症対策を最優先に取り組み、その帰結として経済政策でも良好な結果を生んでいるのです。これは世界的な模範例ですが、そこには「先防疫、後経済」(先ず防疫を終えてから、本格的に経済対策に移る)という考え方で共通していることに注目すべきです。
これに対して、日本の場合は、これらの諸国と比較して、感染症対策が不十分であったことから、4月に政府は、「緊急事態宣言」を発出せざるを得ず、欧米と類似した状況に追い込まれたのです。さらに、その後、夏期に感染者数が低下する中で、再び感染症対策と経済政策を対立的なものと捉え、感染症対策がまだまだきわめて不十分であるのに、内心は経済政策を重視する政府・与党の主張が台頭したのです。これは「二兎を追うもの一兎も得ず」の諺が示す通り、きわめて甘い考えと言えます。
そして、日本政府は、前のめりの経済偏重論に基づいて「Go to Travel」や「Go to Eat」政策を勧めましたが、これは、多額の予算を投入して感染拡大につながりかねない人の移動を促進する点で理解しがたいものでした。実際、専門家が警告していた通り、秋から冬になって感染者数が爆発的に急拡大し、「医療崩壊」と言える医療現場の逼迫状態が現れました。
〔*12月になって、日本医師会、日本病院協会をはじめ、医療関係者の団体はほぼ共通して、「医療崩壊」の状況になっている現実を強く強く訴えています。〕
とくに、既に一年間近く政府からは、感染症との闘いの第一線に対して、必要物資の支給をはじめ経済的・精神的支援がきわめて乏しいままでした。医師、看護師など医療スタッフの使命感と過重労働によって何とか維持されてきた医療現場は、とうとう疲弊しきってしまいました。病院経営が危機的状況に追いやられ、ボーナス・カットや医療従事者への差別・偏見の事例が報道されました。医療従事者の中で、既に多くの退職者が出ていることも明らかになり、医療現場、また、保健所なども維持すること自体が困難になっています。
こうした状況を生んだ政府の「先経済、後防疫」の誤った政策に世論の批判が高まり、12月になって内閣支持率が大きく急落して初めて、「Go to Travel」の中止が決まり、遂には新年1月7日に、1都3県について「緊急事態宣言」が発出されたのです。
〔*この二度目の「緊急事態宣言」の有効性については、欧州諸国が夏から秋に感染症対策を緩めたために感染爆発を招いたことから、同様な「ライトロックダウン」の誤りを繰り返すとして国際的にも冷ややかな目で疑問視されています。〕
学術会議会員の任命拒否を撤回し、その独立性と財政の手厚い保障を
政府は約40年近く、公衆衛生、とくに感染症対策そのものを軽視し、縮小してきました。政府、さらに与党は、そうした自らの政策が根本的に誤っていたことを率直に認める必要があります。政策を180度転換して、ニュージーランドや台湾などが示した「先防疫」の政策・システムへの転換を行うことが必要です。
日本学術会議は、2020年3月6日、「新型コロナウイルス感染症対策に関するみなさまへのお願いと、今後の日本学術会議の対応」という幹事会声明を発表しました(学術の動向 2020.4 11 )。そこでは、
「日本学術会議は、大規模感染症の予防・制圧には、これまで事前に想定される事態について検討を行い、対応してきました。今後は、①予防・医療においては、予防・流行阻止のためのガイドライン、ワクチンや治療薬の開発のための官民協力体制、緊急時の感染症病床を確保できるような体 日本学術会議は、大規模感染症の予防・制圧には、これまで事前に想定される事態について検討を行い、対応してきました。今後は、①予防・医療においては、予防・流行阻止のためのガイドライン、ワクチンや治療薬の開発のための官民協力体制、緊急時の感染症病床を確保できるような体制などの整備、②感染蔓延に備える社会・経済体制などの準備が必要です。」
日本学術会議幹事会声明「新型コロナウイルス感染症対策に関するみなさまへのお願いと、今後の日本学術会議の対応」(2020.3.6)
「日本学術会議は、第二部(生命科学)に新たに大規模感染症予防・制圧体制検討分科会を設置し、今回の新型コロナウイルス感染症への対応を含めた、国内外の大規模感染症に関する科学的知見の収集等を通じて、検討を開始します。行政等の対応(国民への適切な情報発信、経済社会への影響も含む)、学術界や産官学の連携などに関する包括的な検証を行います。それらの結果に基づき、米国の先行例も参考としつつ、大規模感染症の予防と制圧に必要な体制とその整備について検討し、提言を作成し、公表していきます。政府の政策決定過程における専門家の参画のあり方や、将来の検討の基礎となる記録とその保存のあり方についても提言する予定です。」
この声明は、コロナ禍がまだ大きく広がる前の、実に機敏な対応です。内容的にも水準が高いもので、国民の期待に応えようとして活動しようとする学術会議の責任ある態度を示していると思います。
最初に述べた通り、WHOは、2000年代に入って新たな感染症対策が必要であることを議論して、世界各国での感染症対策強化を呼びかけてきました。ところが、日本政府は、学術会議への感染症対策の抜本的な見直しについて、特別な諮問などを行って来ませんでした。本来であれば、感染症学を含む専門家だけでなく、人文・社会科学の専門家も含む、独立機関としての「日本学術会議」に、十分な予算を保障して、政府が「感染症対策」について諮問をしていたら、現在のような「無策」と呼ばれる状況にならなかったのではないかと思います。
〔*これについては、「過労死防止法」の制定をめぐって、日本学術会議が果たした独立性のある公的学術団体としての大きな役割について既に指摘したことを想起するべきです。「提言 労働・雇用と安全衛生に関わるシステムの再構築を―働く人の健康で安寧な生活を確保するためにー」(2011年4月20日)〕
ところが、菅内閣の発足直後、実に、驚くべき事が明らかになりました。菅首相が、学術会議の会員候補6名の任命を拒否したのです。ここでは詳しく述べませんが、「日本学術会議法」によれば、あり得ないことです。とくに、菅首相は「任命拒否」についてまともな理由を示すことができませんでした。法的には信じがたい措置としか言いようがありません。
私は、この学術会議会員任命拒否問題と、安倍内閣、さらに菅内閣の感染症対策の無策ぶりは深いところでつながっていると思います。政府与党は任命拒否の誤りを是正しないまま、学術会議自体のあり方見直しまで問題にしています。しかし、これは、本末転倒としか言えない議論です。
政府は、学術会議を中心に、科学的な感染症対策を確立するために、多くの学術団体や研究者、専門家の協力を求めるべきです。そして、学術会議が積極的な活動をするだけの財政的保障を手厚くすることこそ必要です。従来は、せいぜい遠隔地会員の旅費や、外部の専門家に支払う旅費の工面だけで、学術会議が自立して様々なテーマで調査をしたり、幅広い議論をするだけの経済的基盤が十分でなかったと思います。これでは本来、学術会議が期待されている役割を果たすことができない、と思いました。
〔*私自身は、非正規雇用の労働環境や、若者の雇用に関連して学術会議関係者から要請を受けて上京する機会があり、その時には旅費を支払ってもらいました。しかし、後で聞くと、東京近辺在住の会員や連携会員には、そうした経済的保障も不十分で、活発な活動は、事実上、ボランティアで行っているとのことでした。第47回 人間らしい働き方と「学術会議」人事への内閣の介入参照。〕
菅首相がするべきことは、「学術会議会員の任命拒否」の誤りを率直に認めて、即時撤回することです。そして、学術会議という、貴重な独立性のある学術機関を積極的に活用して、学問的な根拠のある感染症対策を確立することです。そうした客観的・俯瞰的・総合的な対策を確立することができなければ、未曽有のパンデミックを引き起こした新型コロナ感染症に立ち向かうことはできません。今こそ、政府・与党は、これまでの対策の重大な誤りを率直に認めて、多くの人々の生命と健康、生活と社会・経済を守るために、大きく政策を転換する時点だと思います。