第264回 脱線休講 私の短歌事始め

 本年3月末をもって教壇を去りましたが、無芸退職では淋しいので、4月から俳句をいくつか作って見ました。駄句とも言えないものしか浮かばないので、短歌にしました。それで恥を忍んで生まれて初めて作ったのが5月14日の5首です。それらを含め、以下のほとんどは東京出張の往復の新幹線のなかでひねり出したものです。携帯のショートメールで妻に送って残しています。短歌1年生の狂歌、笑歌の習作としてご笑覧ください。

5月14日
職引いて「ぼけになりたくない」本の広告を見て居眠っている

奥さんをかあさんと言う人のいてわれも気づけば君の名を呼ばず

毎日が自由の人になりてのち母看る妻の不自由を知る

申請の名前のあとに歳を書きえ!もう70!とつぶやいている

湧き出ずるようにというのでないけれど今日が私の短歌記念日

5月23日
独り寝るベッドの鶴が客に言う背中凹んで私変でしょ

5月27日
過労死をなくそうという法律ができるというに何をか言わんや

戦する国の不幸を歌いしは軍歴のある老学者です

5月31日
その昔君に感じたあの気持ちあれが私のパルピテーション

6月13日
父逝きて20年が経ちまして父思う日が増えてきました

少年の蚊帳吊る夏の楽しみは蝉の脱皮の時を待つ朝

村中のみんなで田植えをした里は帰らぬ昔の思いでの中

6月16日 NHKラジオ「夕方ニュース」に出て
赤銅も笛吹童子も聞きました創造力の箱を通して

6月21日 NHKテレビNews Webに出て沈む自分を励まそうと
お茶漬けと刺身を頼んで一人飲む飲めない男の東京の夜

6月25日
「新日本歌人」同人の大津留公彦さんのブログ【「集団的自衛権」を阻止する575/57577】に掲載された3首

二十四の瞳の島の先生が今生きてたら何と思わん

数知れぬ人の命で購える憲法を捨て戦するのか

百姓が塹壕堀りの兵となり病気除隊でわが父となる

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