裁量労働制とは クリエーティブで自由? 大半は低賃金

 朝日DIGITAL 2018年5月1日

https://digital.asahi.com/articles/ASL4M6X62L4MUTFL00R.html

裁量とは、自分の考えで判断し、処理すること。「裁量労働」は、政権が対象の拡大をめざしたが、データのずさんさが露呈し、先送りになった。働く人の裁量は、どこまであるのか。
低賃金・ノルマ…働かせ放題(今野晴貴さん NPO法人POSSE代表)

裁量労働の基本給は、いくらくらいなのか。明記が義務づけられている求人票で、表示されている低い方の額を調べてみました。求人の9割は月給25万円未満で、7割は20万円未満でした。
 これまで、裁量労働は比較的高給、かつクリエーティブな職種が対象で、好きな時間に働けるようになるとされてきました。ところが、現実には低賃金が大半なのです。
 なぜでしょう。裁量労働は、働いた時間と賃金の関係を切り離すものです。あいまいな法律で、どの職種があてはまるのかもわからない。ブラック企業に悪用されて、想定とは違い、残業代を削るために使われてきたのです。
 私たちのNPOが受けた相談で、「裁量労働でよかった」という人はいます。過大なノルマさえなければ、実際に働く時間を選べますから。しかし、ある日いきなりノルマがふってきて断れず、耐えられなくなって相談にくる。仕事量には歯止めも裁量もないので、労働環境が悪くなるのは簡単です。
 法律や制度の想定と、実際の運用がずれることはあります。現実を見ず、イメージだけで話を進めるのは、もうやめるべきです。仕事を増やしても賃金は同じなのだから、雇う側からすれば、定額で働かせ放題になるだけです。
 「効率的な働き方になる」というのも、イメージにすぎません。以前、裁量権がないのに残業代が払われない「偽装管理職」が、コンビニや外食産業の店長で問題になりました。客がいなくても店長1人で深夜まで営業させた。これ以上働いたところで成果はないかもしれないけど、定額だからやらせてみよう、と経営側は考え、効率は無視されるのです。
 働くことへの評価が成果主義に変わるという受けとめもあるようですが、これも違います。残業代を出す、出さないと、どう評価するかは別の話です。
 働いた時間での評価が中心だったから、長時間労働が蔓延(まんえん)してきた面はあるのかもしれません。問題というなら、いまでも評価の権限を持つ経営側が、短時間で成果をあげた人を昇進、昇給させればいいだけのことです。
 裁量労働の対象拡大は今回は先送りされましたが、同じような話は繰り返し出てくるでしょう。私たちは、ブラック企業や非正規で働く人たちの声を受け止め、権利を守っていく運動を、地道に続けていきたいと思っています。
 就職ではなく「就社」文化の日本では、自分の会社や、自身の働き方を疑うことは難しいでしょう。我慢すれば報われるという、高度成長期の成功の記憶も残っているように感じます。現実に厳しい環境で働く人たちが立ち上がって声をあげられる社会にならないと、何も変わりません。
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 今野晴貴(こんの・はるき) 1983年生まれ。年間2千件以上、若者の労働相談にかかわっている。著書に「ブラック企業」など。
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美辞麗句で「ぼったくり」(平川克美さん 文筆家・立教大学客員教授)

働き方改革は安倍晋三政権の目玉の一つですが、だれが言い出したかが重要です。
 経営側から出てきたとすれば、経営者に都合がいい働かせ方をめざす、「働かせ方改革」にすぎません。裁量労働も、本来の意味で労働者に裁量があるわけではなく、残業代を払わないという「ぼったくり」です。
 なにか良いことがありそうな美辞麗句でごまかす。積極的平和主義などもそうですが、第2次安倍内閣の発足以来、口あたりのいい言葉でオブラートに包み、ごまかすことが続いてきました。この詐術をもう終わりにしなければ、この国の倫理やモラルはずたずたになります。美しい言葉の裏に何が隠されているのか、暴いていくメディアの責任は重大です。
 残業代を払わない裁量労働は悪辣(あくらつ)だし、働く環境が壊れてしまえば、最終的には経営者たちの首を絞めることにもなるはずですが、気持ちはわからないでもありません。私は現役の経営者でもあります。1985年の労働者派遣法の成立のころは、人件費を固定費ではなく変動費にできるかが、私にとっても重要な問題でした。景気や経営状態の変化に柔軟に対応する必要があったからです。
 一方で、労働者が団結して経営側と拮抗(きっこう)していくというかたちが、なし崩しになっています。一人ひとりが孤立し、「公共バスの運転手の給料が高すぎる」という主張のように、労働者の敵は労働者という状況すら、つくられています。
 最も裁量がある労働といえば、自分で会社をつくることでしょう。でも私は、自由を求める言葉がいろいろと使われますが、自由を本当に求めているのかと疑っています。自由であるためには自分の頭で考えなければならず、周囲と摩擦も起こします。日本社会には権威主義が色濃く残っており、権威に身を任せた方が安全と思っているのかもしれませんが、多くの人が自由から逃げ始めているとすれば、とても危険なことです。
 もう一つ重要なことは、経済成長が難しくなったことをどう考えるか、です。「まずは富めるものを富まそう」という政策のもと、大企業は空前の利益をあげ、内部留保をためこむ。少しでも利益を得るため、労働者から「ぼったくり」までしようとする。
 成長をあきらめろ、とはいいません。できるなら成長した方がいい。多くの問題を解決してくれ、競争の原理も有効に働きます。でも、右肩下がりの時代に競争を強いれば犠牲しか出ません。借金も返せないような中小零細は見捨てられつつあり、守ろうという勢力すら、ほとんど存在しません。成長が難しいとき、どういう社会をつくるのか。政治には、そのシナリオも描く責任があるはずです。
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 平川克美(ひらかわ・かつみ) 1950年生まれ。隣町珈琲(カフェ)店主。著書に「21世紀の楕円(だえん)幻想論」など。
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男女分業ありきの「選択」(山根純佳さん 実践女子大学准教授)

これまで、職場の求めに応じて働く時間を提供してきたのは、男性でした。このような男性の働き方にあわせるために、家庭で必要とされる役割を担ってきたのは、女性でした。
 女性は家事や育児、介護と仕事を両立させるため、パートや短時間勤務を「選んでいる」とされてきました。そして、自分で選択したのだから、低賃金でも仕方ない、と考えられてきました。
 しかし、これは「選択」とは言えません。夫の勤務が長時間であるほど、短時間勤務を望む女性が多いというデータもあります。家庭での役割が多いから、低賃金で福利厚生も乏しい、あるいは出世が難しくなるといったペナルティーのつく働き方を受け入れざるをえないのです。
 裁量労働も、仕事の量を決めるのが職場であるかぎり、「選択」を装いながら不利な労働条件を押しつける意味で同じです。やはり男性は長く働くことになり、女性が時間を調節するという分業はかわりません。男性側が長時間働くという前提のもとで、短時間勤務など女性側の選択肢を増やしても、「女性活躍」にはつながらないでしょう。
 今後、「時間や空間に縛られない働き方」になり、仕事と介護や子育てとの両立が実現するように語られますが、実際そうなるでしょうか。
 厚生労働省は、将来のあり方として「何をやるか」まで自分で決める働き方を示しています。会社のような組織ではなく、プロジェクトごとにやりたい人が集まり、終わったら解散、というものです。
 このような働き方で、育児や介護の休業はだれが保証するのか。失敗したとき、参加した人の生活を支える責任はだれがとるのか。自分で選んだのだから、結果の不利益もすべて受け入れろ、となれば生きづらいはずです。
 時間や場所に縛られるサービス業は女性の労働に支えられています。働く時間や場所の裁量を与えるなら、たとえばスーパーで早朝や夜間の営業をやめるなど、仕事のかたちそのものを変える必要もあります。ドイツのような営業時間の規制にまで、政府は踏みこめるでしょうか。
 私は介護施設で働く人の調査を続けています。AIやロボットを活用しても、「夜はお年寄りだけで寝てください」とはならないでしょう。時間と場所を拘束される労働はどうしても残るのです。
 シフト勤務で、多くの人がどこかの時間を集中して選べば、だれかが超長時間労働で穴埋めすることになる。防ぐには、スタッフの配置や報酬など、いまのしくみを大きく変える必要があります。
 こうした職場を具体的にどのように変えていくのか。この社会が本気で考えているとは、とても思えません。(聞き手・いずれも山田史比古)

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