ビキニ被曝訴え、元船員ら「労災」申請 62年前に航行

http://www.asahi.com/articles/ASJ2Q755HJ2QPLPB00Q.html
朝日デジタル 2016年2月26日

写真・図版:船員保険の適用申請後に記者会見を開いた山下正寿さん(左)と下本節子さん(右)ら=26日午前10時22分、高知市、高木智也撮影(省略)

 マーシャル諸島で米国が繰り返した核実験で被曝(ひばく)したとして、周辺海域にいた漁船の元乗組員と遺族の計10人が26日、「労災申請」にあたる船員保険の適用を全国健康保険協会に申請した。元乗組員らはがんなどを患っており、被曝が疾病の原因と認められれば、治療費の自己負担分がなくなったり遺族年金が支給されたりする。

ビキニ環礁で被曝
特集:核といのちを考える

 10人は高知県内の元乗組員6人(81〜88歳)と遺族4人。米国は1946〜58年にマーシャル諸島のビキニ環礁とエニウェトク環礁で計67回の原水爆実験を繰り返していたが、元乗組員らは62年前の54年3〜5月の6回の核実験時に周辺海域を航行。放射性物質に汚染された「死の灰」を浴びるなどし、がんや心筋梗塞(こうそく)を患ったと訴えている。

 同じ時期、周辺海域には延べ約1千隻が航行し、このうち約270隻が高知の船だったとされている。同年3月1日の水爆実験で静岡のマグロ漁船「第五福竜丸」(23人が被曝)が「死の灰」を浴びたことは分かっているが、日米の政治的幕引きを背景に公的な継続調査は打ち切られた。

 元乗組員らへの聞き取り調査を続けてきた「太平洋核被災支援センター」(事務局・高知県宿毛市)によると、今回申請した元乗組員6人のうち1人の歯を分析したところ、原爆が投下された広島の爆心地から1・6キロで被爆した人が浴びた量と同じ線量が確認された。他の元乗組員らについても白血球の減少を示す血液検査結果が残っているほか、漁船の航跡図からも周辺海域にいたことが裏付けられるという。

 一方で航行状況や被曝線量が特定されたとしても、放射線と病気との因果関係の特定には「62年」という歳月の壁が立ちはだかる。生活習慣を含め、被曝とは別の原因と判断される可能性もある。全国健康保険協会は取材に対し「国や専門家と相談して対応したい」としている。(西村奈緒美、佐藤達弥)

■「氷山の一角」

 「申請する10人は氷山の一角」と話していた太平洋核被災支援センターの山下正寿事務局長(71)。代理人として船員保険の申請書を提出した後に高知市で記者会見を開き、「やっとスタートライン。東北や東海で調査をしている人たちに情報を提供し、申請者を広げたい」と力を込めた。

 ログイン前の続き2014年、厚生労働省は「存在しない」としてきた第五福竜丸以外の乗組員の関連資料などを山下事務局長に開示した。こうした動きに「この2、3年で実態がわかり始めた」として申請を決めたのは下本節子さん(65)=高知市。1954年3月に「第七大丸」でビキニ環礁の周辺を航行し、78歳だった14年前に胆管がんで死亡した大黒藤兵衛さんの娘だ。

 この日、下本さんだけが申請書を直接提出した。船員保険の申請は本人の死亡から5年が過ぎると原則として遺族にも適用されないが、下本さんは「時効」とされるのも覚悟のうえだ。記者会見では福島の原発事故に触れ、「ビキニは過去のことじゃない。放射能被害を伝えていくことが自分の役割」と語った。

 大黒さんと同じ第七大丸に乗っていた父・庄市さんを49年前に肝がんで亡くした南隆延さん(63)=高知県室戸市=は山下事務局長に申請書を託した。隆延さんは以前、第七大丸の元乗組員の遺族から「庄市さんは空から降ってきた灰を雪と間違えたのか、口に入れた」と聞かされたという。

 「46歳で死んだ父は核実験の犠牲者かもしれないのに救われなかった」。隆延さんは今回の申請に日本政府への抗議の気持ちも込めている。(西村奈緒美)

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《第五福竜丸元乗組員の大石又七さん(82)=東京都大田区=の話》 肝臓がんを患った私が2000年に船員保険の適用申請をしたとき、C型肝炎を理由としなければ国は受けつけなかった。核実験で被曝した人は広島、長崎の原爆被爆者と同じ。「ヒバクシャ」として認められるべきです。(田井中雅人)

■マーシャル諸島での核実験をめぐる動き

1945年8月 米国が広島と長崎に原爆を投下

  46年7月 米国がマーシャル諸島で核実験開始

  54年3月 第五福竜丸がビキニ環礁周辺で被曝(ひばく)。5月までに周辺海域では延べ約1千隻が航行したとみられている

  54年9月 第五福竜丸の無線長が死亡

  54年12月 国がマーシャル諸島周辺で水揚げされたマグロの放射線検査を打ち切り

  55年1月 米政府が「見舞金」として200万ドル(当時の円換算で7億2千万円)を日本政府に支払うことで政治決着。被曝の詳しい調査が打ち切られる

  85年6月 山下正寿さん(当時・高校教諭、のちに太平洋核被災支援センター立ち上げ)が元乗組員への聞き取り調査開始

  98年9月 第五福竜丸の元乗組員が「被曝後の輸血が原因でC型肝炎にかかった」として船員保険の適用を申請(最終的に元乗組員2人と遺族5組へ適用)

2014年9月 厚生労働省が延べ約550隻の元乗組員の放射線検査結果などを山下さんに開示

  15年1月 厚労省が第五福竜丸以外の船の被曝状況を調べる研究班を設置

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