始まりは一本の電話…「過労死110番」30周年 遺族「これからも駆け込み寺に」

 業務上の過労やストレスで発病し、死亡したり重度の障害を負ったりした場合の労災補償について、無料で相談に乗る「過労死110番」が今春、30周年を迎えた。昭和63年4月、全国に先駆けて大阪で始まった取り組み。最初の相談者となった平岡チエ子さん

(75)=大阪府藤井寺市=は、偶然目にした新聞記事で110番の開設を知り、2カ月前に亡くなった夫のことを聞いてほしいとスタートの日を指折り待って、受話器を握った。「電話口の相手に分かってもらえた」。110番で安心感を得た平岡さんはその後、労災認定を得て、勤務先を相手取った訴訟で和解を勝ち取り、その活動は海外で「karoshi」と取り上げられる契機にもなった。
働き盛りの夫の死
 「夫が救急車で運ばれたときはもう遅くて、心不全といわれたが、そうじゃない。会社に殺された」

今年4月12日夜、大阪過労死問題連絡会が大阪市内で開いた過労死110番の開設3W0周年記念シンポジウム。登壇した平岡さんはこう切り出し、かけがえのない夫を失った日のことを語り始めた。

昭和63年2月23日。夫の悟さん=当時(48)=は午後9時半ごろに仕事から帰宅。その後、急性心不全で亡くなった。晩酌をしながら夕食を取り、長男とプロ野球の話などをし、家族それぞれが自分の用事をしていた、わずかな時間のことだった。

悟さんは大手企業の工場に勤め、ベアリングの生産ラインの現場で約30人の部下をまとめる班長をしていた。定員を割り込む人手不足の状態の中、自らも生産ラインに立った。亡くなるまでの51日間は休みがなく、連続勤務だった。「フル操業で機械さえ故障するのに、人間が健康に生きられるはずがありません」
指折り数えた開設日
 悲しみに暮れる日々だったが、約2カ月後の4月、新聞記事が目に留まった。その日の夜に大阪市内で開催される「過労死シンポジウム」の告知。働き盛りのサラリーマンが脳出血や狭心症で急死したと伝えていた。

「『過労死』の3文字が夫の死と重なり、衝撃を受けた。このときから生活が一変した」。これが転機となった。

最寄り駅を降りてたどり着いた会場には、大勢の人が集まっていた。後方の席に座って話に耳を傾けた。そこで4月23日に「過労死110番」が初めて開設されるのを知った。偶然にも開始日の4月23日は、悟さんの2度目の月命日。開始時刻の午前10時ちょうどに電話をかけた。

「今となっては内容は覚えていない。だが、きっと長い時間だったと思う」

誰にも話せず、胸の内にとどめていた感情を打ち明けることができ、受話器の向こうには受け止めてくれる人がいた。「わかってもらえたことは、たとえようのない安心感だった」。

この日に寄せられた相談は18件で、うち16件が過労死関連だった。ほとんどが、平岡さんと同じ妻からの電話だった。
米紙が「karoshi」と掲載
 110番での相談で勧められたこともあり、平岡さんは同年7月、労働基準監督署に労働災害を申請。悟さんの勤務実態を理解してもらうために、子供2人と手書きで作成したグラフも提出した。こうした活動は反響を呼び、同年11月、米紙シカゴ・トリビューンが「karoshi」の言葉とともに、悟さんのことを報じた。

労基署は翌年5月、悟さんについて労災認定した。過労死110番が関係した事案の初めての労災認定でもあった。「やっと夫も休める」。胸のつかえが取れたように感じたが、会社は「本人が自発的に働いた。会社が指示したのではない」と責任を認めなかった。

こうした会社の姿勢に、平岡さんは企業の責任を追及する民事訴訟に踏み切ることを決意。平成2年5月に大阪地裁に提訴した。

その甲斐あってか、裁判では、労務部長が「青天井の三六協定を労働組合と結んでいた」と証言するなど、長時間労働や休日労働が常態化していた実態が明らかになった。そして6年11月、和解が成立した。和解にあたり会社の謝罪は勝ち取ったが、「最後まで労働組合や職場の人の協力がなく、職場が見えてこなかった」と悔しさも味わった。
「話せない気持ち分かってもらえる」
 「開設当時、過労死という言葉は定着していなかったが、(過労死110番の)反響は大きく、全国に呼び掛けた」

はじめて過労死110番を実施した大阪過労死問題連絡会の初代事務局長を務めた松丸正弁護士(大阪弁護士会)はこう振り返る。

過労死110番の取り組みはやがて全国に広がっていった。毎年6月に無料電話相談を行っているが、昨年は32都道府県で実施された。常設で相談を受け付ける窓口もでき、これまでに寄せられた相談は約1万2千件にのぼる。

一方、厚生労働省によると、平成28年度に過労死で労災認定されたのは107人、未遂を含む過労自殺は84人だった。過労死や過労をめぐる問題が相次ぐ中、過労死110番は大きな役割を果たしている。平岡さんは、過労死110番について「誰にも話せないような気持ちを分かってくれる場所。これからも駆け込み寺として頑張ってほしい」と期待している。
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 大阪過労死問題連絡会は平日(午前9時半〜午後5時半)と奇数週の土曜日(午前9時半〜午後0時半)に「常設過労死・過労自殺

110番」((電)06・6364・7272)を行っている。

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