第286回 労働者派遣制度は現代日本の雇用破壊の元凶です

自民・公明は維新と政治的取り引きをして、派遣法改定案を今国会で強行しようとしています。現行派遣法は、企業が無期限に派遣労働者を受け入れられる仕事を「専門26業務」に限り、それ以外は最長3年に制限しています。改定案が成立すれば、「専門26業務」の枠組みが廃止され、企業は人さえ替えれば同一事業所で業務内容に関係なく派遣労働者を受け入れ、派遣使用期間をいくらでも延長できるようになります。

労働者派遣制度の人貸し業的問題点についてはこの欄でも何回か書いてきましたが、ここであらためて、派遣制度は労働者を物扱いする奴隷的働かせ方であることを言いたい思います。

横山源之助の『日本の下層社会』(岩波文庫、原本は1899年)に日稼人足(日雇人足)の話が出てきます。当時の東京では実に多数の男女の日稼人足が「道路人足」、「工場人足」、「会社人足」として使役されていたと言います。

道路人足の例でいえば、土木業者が東京府庁の許可を得て土木工事を請け負い、募集人に人足を募集させました。業者は男の人足には1人1日40銭を負担しますが、請負者がたいてい3〜4銭上前を取り、募集人がさらに2〜3銭をピンハネし、通例、日稼人足の手に入るのは32、3銭、女の人足は20銭であったといいます。

これと今日の派遣労働はどれほど違うのでしょう。戦前は、親方が配下に人夫をおいて、建設現場や鉱山や工場に送り込み、人夫の受け取るべき賃金の一部をピンハネすることによって利益を得る人貸し業が広く認められていました。これは現在の派遣制度と大きくは違いません。

細井和喜蔵の『女工哀史』(岩波文庫、原本1925年)に出てくる女工たちの多くは、募集人によって農村から集められ、工場主に売られました。この場合、雇用関係は、工場主と女工との契約関係であるまえに、工場主と募集人の契約関係でした。紡績工場の平均賃金(日給)が女工でおよそ二〇銭、男工で三〇銭であった時代に、募集人は女工を一人紹介すると一円前後の手数料を稼ぐことができました。

募集人制度と親方制度とは、ピンハネという点では同一ですが、募集人の場合には募集して工場に入れるときだけパンハネをするのに対し、親方の場合は日々繰り返しピンハネをする点で違います。今日の派遣制度は、派遣会社が労働者の募集業務と派遣業務をともども行っている点で、募集人制度と親方制度を合体したようなものです。

派遣労働はアメリカでは臨時的・一時的な仕事という意味で「テンポラリー・ワーク」と言われます。派遣の惨めな働き方を表すときに「テンプスレイブ」(派遣奴隷)という言葉が使われることもあります。しかし、日本ではもともと期間限定の臨時的・一時的な仕事のための制度として出発したはずの派遣が次第に継続的・反復的・恒常的な働かせ方に変わってきました。今度の改定案は入れ替え取り替えの条件付きで、派遣先には恒久受入、労働者には生涯派遣を可能にする制度改悪です。これを許してはなりません。

来週発売の『週刊エコノミスト』の書評で、中沢彰吾『中高年ブラック派遣――人材派遣業界の闇』(講談社現代新書)をとりあげました。これは著者自らがこの1年登録型の派遣労働者として働いた経験をもとにした潜入ルポで、表紙の帯にいう「奴隷労働の現場」を知るために必読です。

派遣労働者は派遣先の会社で極めて弱い立場に置かれていますが、派遣会社に対しても文句を言えません。『中高年ブラック派遣』には、派遣会社の就業規則には、「当社の業務、運営に支障をきたす恐れのある方は、担当者の判断でその日の仕事から外れていただく」「予約した仕事のキャンセルはできません」「遅刻、欠勤、早退は認められません」「欠勤は理由の如何を問わず5000円を罰金として天引きします」「賃金の額、就業条件等について、派遣先で他の労働者と会話してはいけません」「交通費はお支払いできません」などと書かれているとあります。

1985年に労働者派遣法が制定されて以来、次々と自由化されてきた派遣制度は、現代日本の雇用破壊の元凶です。私はいま『雇用身分社会』という新書を書いています。これはここ30年ほどのあいだに、正社員・正職員が労働者の大多数を占めていた時代が終わり、雇用が階層化しての多様な雇用身分に引き裂かれた「雇用身分社会」が出現したことを問題にしています。この雇用身分社会の出現の転轍機(鉄道でいう路線の切り替えのためのポイント)の役割をしたのが1985年の労働者派遣法でした。

これ以上、雇用破壊路線あるいは雇用身分社会路線を突っ走ったら、日本の明日の働き方はどうなるのでしょうか。

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