第31回 過労死110番のスタートから20年

2008年6月11日、東京虎ノ門パストラルホテルで、過労死弁護団全国連絡会議の主催による「過労死110番20周年記念シンポジウム」が開催され、筆者は「過労死110番と働きすぎ社会」と題して報告をおこないました。

「過労死110番」は、1988年4月、大阪過労死問題連絡会が「過労死シンポジウム」に続いて、労働者や家族から電話相談を受付けたことから始まりました。同年の6月には東京、大阪、札幌、仙台、京都、神戸、福岡で、「過労死110番全国ネット」の一斉相談がスタートしました。これらの取り組みがマスメディアに大きく報道されて、この年に「過労死」という言葉が時代を映す現代用語として一挙に広まったのです。

世界にいち早くkaroshiを発信したメディアの一つは、アメリカの新聞「シカゴ・トリビューン」です。1988年11月13日の同紙は、過労死110番をとおして最初に労災認定を勝ち取った椿本精工(現ツバキ・ナカシマ)の作業長・平岡悟氏(死亡時48歳)の過労死事件を、「日本人は仕事に生き、仕事に死ぬ」(“Japanese live……and die……for their work”)という見出しで大きく報じました。1990年には、過労死弁護団全国連絡会議編で国際版の『KAROSHI[過労死]』(窓社)という本が英文付きで出版されています。

2002年1月、「オックスフォード英語辞典」のオンライン版は、1万語を超す新しい単語の一つとして日本発のkaroshiを加え、「過労すなわち仕事による極度の疲労がもたらす死」(“death brought on by overwork or job-related exhaustion”)と説明しました。このネットの「注目のニュース」にも書きましたが、2008年6月、ニューヨーク在住の日本人ジャーナリスト、肥田美佐子さんが、1999年3月、違法派遣・偽装請負で過労自殺した上段(うえんだん)勇士さん(死亡時23歳)の事件に取材した「過労死の国」(“The Land of Karoshi”)という記事で、第1回「ILOジャーナリスト大賞」を受賞しました。

この20年間に、過労死(karoshi)という言葉が内外に広まるとともに、過労死110番、過労死家族の会、職業病対策や労働安全に取り組む労働団体などによる反過労死運動が大きく前進しました。29回目のこの講義にも書いたように、最近では厚生労働省の賃金不払残業の解消に向けての取り組みも強化されてきました。にもかかわらず過労死はいっこうに減る兆しがありません。次回からは過労死がなぜなくならないのかを考えてみたいと思います。

追記: このように書きましたが、その後08恐慌の集中講義が9回あり、それが終わると雇用および非正規雇用のテーマに進みました。そういうわけで過労死については先送りになることをご了解ください。

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