第213回 労働者の「存在の耐えられない軽さ」について思う。西成編

日本経済新聞の2月9日夕刊にありむら潜さんのインタビュー記事が載っていました。彼は西成労働福祉センターに勤め、「カマヤン」の漫画で日雇いの街を描いてきたことで知られています。

その記事を見て一瞬どきりとしました。内容にではなく、「労働者の背に時代の変化」という見出しにです。その横1.7cm、縦1cmの大きな印字を見て、なぜか普段の紙面には、「労働者」という言葉はほとんど使われていないことに気づかされました。

この記事が労働者という言葉で語っているのは、釜ヶ崎の寄せ場に集まる「労務者」(日雇いの肉体労働に従事する労働者)の変遷のことです。日経にかぎらず新聞各社は労務者という用語は差別語であるとして、かわりに労働者という言葉を用いることにしていると聞いたことがあります。

しかし、この言い換えは労務者の置かれた状態を曖昧にするおそれがあります。安定した雇用関係を持たず、臨時の仕事に従事する、不自由に極みにある労務者は、別名「自由労働者」とも呼ばれてきましたが、これをたんに労働者と呼んでは、雇用関係や就労形態の特殊な不安定性に目をつぶることになります。

実態がなくならないのに言葉だけを換えると、今度は代わりの言葉の意味も変わってきます。今の例でいうなら、労働者が労務者のイメージを持たされ、労働者という言葉も使いにくくなって、勤労者、あるいは会社員(社員)とでも言い換えるしかなくなります。実際、「赤旗」を除けば、どの新聞でも労働者の使用頻度は驚くほど低いと言えます。

悲しいことながら、言葉の置き換えとは無関係に、現実そのものの変化によって、日本の労働者はだんだん労務者に近い不安定な存在になってきました。その代表格が派遣労働者です。派遣会社は、人夫を手配下において工場などに送り込んだ戦前の組頭制度(親方制度)を現代の人材ビジネスとしてよみがえらせました。それとともに、派遣会社は、手配師が毎朝労働力を集めて建設現場などに送り込む寄せ場を釜ヶ崎や山谷から全国に広げたました。

だから、ありむらさんも、「90年代のバブル崩壊後、若い日雇い労働者が釜ヶ崎にこなくなった」「私が『ニュー日雇い』と呼ぶ非正規労働に携わる若い就職困難者は日本中に拡散しています」と話しています。

日本中に拡散しているホープレスでワードレスな不安定就業者は、なにも派遣労働者に限られません。そのことは日本中のいたるところに「ブラック企業」が拡散して、労働者が耐えられないほど軽い存在になっていることにも示されています。

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