第294回 神戸新聞随想第8回(最終) セプテンバー・イレブンをまえに

神戸新聞 随想 2015年8月25日

14年前のテロアタックの日、私は在外研究でNYにいて、日本への帰り支度をしていた。

その朝エレベーターで会ったアパートの住人は、ツインタワーが崩落したと怯えた声で話していた。外に出ると、遠くに高く立ち上る煙が見えた。

その日からすべてが一変した。テレビでは恐怖の映像が繰り返され、ブッシュ大統領が「これは戦争だ」「われわれは報復する」と叫んでいた。通りには大小の星条旗がはためき、新聞には「報復」と「愛国心」の二字が躍るようになった。

それでもNYが報復一色だったわけではない。翌日乗ったタクシーで、黒人の女性運転手は、私の質問の意味を察して、「ベトナム戦争でも、湾岸戦争でも罪のない人たちがアメリカ軍によって大勢殺された。アメリカは自分で自分の敵を作っている」と話した。

その日の夕方、ユニオンスクエアで、テロの犠牲者を悼み、報復に反対する小さな集会があった。参加者はロウソクを手に、そこここの地面に広げた紙に、思い思いの言葉を書き込んでいた。

ある男性が私の目の前で「アメリカはバグダード(イラクの首都)で何をしたか」と書くと、別の男性が「バグダードは関係ない。アメリカ人がアメリカで殺されたのだ」と言い捨て、地面の紙を破り捨てた。それを見ていた女性が「今日は平和を祈るために来たのに」と言い、泣き出す場面もあったが、その場を救うように、どこからともなくアメイジング・グレイスの歌声が広がり、集いは静かに続いた。

帰国途中に立ち寄ったカナダのビクトリアでも、報復反対の集会に遭遇した。なかに「戦争は始まる前に阻止しよう」というスローガンがあった。

翻って70年平和が続いたこの国を思うに、戦争法案を押し通そうなど、もってのほかである。
 

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