小熊英二「消滅間近…正社員という「特殊な身分」は、なぜ日本に生まれたか 日本社会のしくみの根幹にある存在」(8/20)

消滅間近…正社員という「特殊な身分」は、なぜ日本に生まれたか
日本社会のしくみの根幹にある存在

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66618
2019年 8月20日 小熊 英二

社会学者・小熊英二氏が今年7月に出した新著『日本社会のしくみ』は、日本の雇用のあり方を分析することで、「日本のしくみ」を解明している。なかでもとりわけ興味深いのが、日本社会の根幹にある「正社員」という存在。日本の正社員は一般に考えられているよりはるかに「特殊な身分」だ。なぜ正社員という身分は生まれたのか。そしてこれからその「身分」はどうなっていくのか。小熊氏が語る。

〔図〕小熊英二『日本社会のしくみ』講談社現代新書 https://amzn.to/2NdVy0L

■日本ではなぜ「専門性」が重視されないのか
――『日本社会のしくみ』では、日本の雇用慣行の分析が中心に据えられています。なぜ雇用慣行について書こうと思ったのですか?

日本社会の全体像を解き明かすことを目指す過程で、日本の雇用慣行、特に「大企業正社員の雇用慣行」が、教育や福祉なども含めた社会全体のありようを規定していることに気がついたからです。

雇用慣行は社会のベースになっていますが、欧米では労働者の賃金を決める基準は職種ごとの専門性で、それは資格や学位で証明されます。

ヨーロッパ各国では、中世のギルドを母体として様々な職種別組合が発達しました。たとえばドイツでは、馬具職人なら馬具職人だけの組合があり、その組合が馬具職人のための教育訓練コースを設け、その組合の親方が技能資格を授けることで初めて職人として働けることになっていました。イギリスの会計士や薬剤師なども同様でした。

こうした慣行がもとになり、近代化とともに、学校で近代的な職業訓練を経て資格や学位が授けられるようになりました。そして労働者は職種別の組合や専門職団体に組織され、賃金交渉も業種別・職種別で行いました。アメリカは、欧州ほど職種別組合が強くありませんでしたが、やはり労働組合や専門職団体の活動などを通じて、似たような慣行ができました。

こうした社会では、業務遂行に必要な職業訓練や職業経験、資格や専門学位などを有する人ほど高い賃金で、資格や学位を持たない人は安い賃金で雇われます。その代わりに、人種や性別、年令などでは賃金を差別しない「同一労働同一賃金」が原則になりました。

こういう慣行だと、専門的な能力をもつ人材は、自分の技能を生かせる仕事を求めて、別の企業へと移動していくことが一般的です。そのため、同じ内容の仕事であれば、企業規模による賃金差はつきにくい。

ところが日本の大企業正社員の場合は、企業に採用されるにあたって、専門的な訓練を受けているかどうかはほとんど重視されません。企業は学位ではなく学歴、つまり「どのレベルの大学入試を突破したか」を、その人の潜在能力の指標と見て採用する。入社後も、その人の専門性や職業経験とは関係なく、年齢と社歴に応じて賃金が上がっていきます。同じ仕事をしていても、所属する企業の規模が違えば賃金に著しい差が生じることもあります。

■正社員が日本企業の「強み」になった時代
――では、特殊な身分としての「日本の正社員」は、どのようにして生まれたのでしょうか?

日本型の雇用慣行の原型は明治期の官庁にあります。

明治初期の高級官吏の待遇はよかった。日雇い人夫の日銭が平均0.22円、月に27日働いても5.9円にしかならなかった時代に、最下級の官吏でも月給12円。省庁の次官クラスになると「日雇いの6年分の年収を1ヶ月で稼ぐ」と言われ、勤務時間もごく短かった。勤続年数を重ねそうした特権的な生活が終身で保障されていたのです。

彼らがこうした厚遇を受けていたのは、高い身分の国家官吏ほど、威信の高い生活を終身保障されるべきだと考えられていたからです。彼らが経済的な利潤を生んでいたからではなかった。そしてこの「官庁のモデル」が、官営企業を媒介として、民間大企業の職員の待遇にも踏襲されていきました。

ドイツなどでも官吏の身分は高かったのですが、ドイツでは先ほど述べた職種別の働き方が発達していたため、官庁の組織モデルはそれほど民間に広がりませんでした。しかしそうした伝統のない日本では、大学を出て官庁か大企業に所属し、その組織の中で勤続年数を重ねていけば賃金が上がるというシステムが広がったわけです。

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――こうしたしくみは戦前からあったのでしょうか?

一般にまで広がったのは戦後ですね。長期の身分保障や右肩上がりの年功賃金は、戦前は官吏のほかは、大企業の上級職員に限られたものでした。戦前の工場労働者は、定期昇給もないし簡単に解雇され、職員とは門もトイレも別の差別待遇だった。

長期雇用や年功賃金が一般の労働者にまで広がったのは、戦時中の総動員体制を経たあと、戦後の労働運動が「社員の平等」を第一に要求したからです。そこで初めて、上級職員と一般労働者の差別がなくなり、いわば「社員の平等」が達成された。

そしてこのことが、1970年代には、日本製造業の「強み」にも繋がりました。工員レベルにまで長期雇用と年功賃金が保障されたために、従業員の勤労意欲が高くなり、長期勤続で技能蓄積もあがった。日本の製造業の強さは、工場労働者の社内訓練や技能蓄積のレベルが高かったことに支えられていた。

欧米の仕組みでは、資格や学位がないと、勤続年数が長くても管理職になれません。工場労働者の一部は熟練工や技能工になっていくけれど、大半の人は技能蓄積があまり進まなかった。また学位も職業経験年数もない若者は最初から雇ってもらえないので、若年失業率が高くなる。1970〜80年代にかけて、欧米各国はそうした悪循環に陥りました。

ところが同時期の日本の企業は、何の訓練も受けていない素人同然の若者を新卒一括採用し、長期雇用して、社内教育で彼らに技能を蓄積させていた。この社内訓練と長期雇用の組み合わせで、日本の製造業は高品質の製品を産み出せていると言われていたのです。

ただこれは、あくまで結果としてそうなっただけです。政府や財界が、そういうメリットを意図して、長期雇用や新卒一括採用をしていたわけではなかった。欧米のような職種別の訓練制度がなかった日本では、企業が社内訓練する以外に方法がなかったし、近代的組織のモデルが官庁しかなかったので、こういう慣行が定着したということです。

またこうした「終身雇用」や「年功賃金」のメリットを享受していたのは、じつは少数派でした。私の試算では、おそらく全有業者の3分の1を超えたことはない。日本の有業者の大半がこの恩恵に浴していたかのようなイメージがありますが、実際はそんなことはなく、大企業正社員だけだった。

■中小企業と大企業、どう違ったか
――同じことは中小企業にはできなかったのですか?

中小企業が大企業と別の組織モデルを持っていたわけではないのですが、結果的には、長期雇用と年功賃金は大企業にしか実現できなかったと思います。

日本の大企業が、一般社員にまで長期雇用を保障できるシステムを維持できたのは、大企業が社内にたくさんの部門を抱えていたからです。

一つのビジネスモデルは、たいてい10〜15年程度しかもちません。ある会社が何十年と存続しようとするなら、時代の変化に呼応して業種を変えていかざるを得ないことが多くなる。繊維産業が傾いたあと、紡績会社だったのが化粧品会社になった企業もある。またスマホが普及してカメラが売れなくなってからは、医療機器メーカーに転身したカメラメーカーもあります。

日本の大企業だと、一つの部門が沈滞してくると、その部門を縮小し、そこにいた社員を配置転換で異動させる。日本では社員の専門性を重視しないので、そうした対応ができるわけです。

これが他国の企業だと、職種ごとに人を雇っているので、配置転換ができない。だから一つの部門がダメになったら、その部門の従業員を解雇する。だから失業が問題になりやすい。あるいは、政府が公的に職業訓練を提供して、転職するように促すしかないわけです。

しかし日本でも、中小企業の場合は、社内にそんなに多くの部門を抱えていない。だから従業員の配置転換先が限られます。ある業種でダメになったら、会社を潰すか、人員を整理するしかないことが多くなる。あるいは、一部の中核社員以外は非正規に切り替えるという対応したパターンもあったでしょう。だから中小企業の場合、長期雇用や年功賃金を全従業員に適用するのはむずかしい。

逆に言うと、日本の大企業が長期雇用をできたのは、配置転換ができたからです。この配置転換ができるゆえに、日本は失業問題が少なく、日本企業は業種にこだわらず様々な分野に進出していける非常にフレキシブルな組織だと1980年代には言われていました。

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■グローバル化が「正社員」を追い詰めた
――逆に「大企業型」の短所とは?

別の意味で柔軟性がない。職種別の労働市場がないから、労働者は企業間の移動が容易に行えません。頻繁な配置転換があるので、専門性も育ちにくい。経営側から見れば、長期雇用による賃金コストが高いという問題もあるでしょう。また長期の社内育成でしか人材を調達できないシステムなので、外部から専門学位や経験のある有能な人材をとりこむこともむずかしい。

また日本型雇用は、高度成長期に製造業中心でやっていくには適していましたが、その強みは90年代以降のグローバル化と情報化によって失われました。精密な設計図を、労賃の安い他国の工場にメールで送るだけで、国内工場と同じように製造できるようになった。もう国内での製造にこだわる必要はない。そうなると、日本製造業の最大の強みだった、一般工員の長期雇用による技能蓄積が意味を持たなくなった。

グローバル化と情報化で国際分業が簡単になると、欧米の慣行のほうが有利になりました。図式的にいえば、米国内にある本社では、比較的僅かな人数しか雇わない。そのひと握りの人たちは、博士号や修士号を持つ技術者やデザイナーやマネジャーで、各国の製造拠点に指示を出すことで巨大事業を動かす。中国の人件費が高騰したらカンボジアの新たな製造拠点にサプライチェーンを作り、あるビジネスモデルが時代遅れになったら別のモデルを作って別の国の会社と提携するわけです。

こうなると、日本大企業の「国内組織の中で人員を動かす」タイプのフレキシビリティは、欧米型のフレキシビリティに太刀打ちできなくなりました。日本の慣行では、昨日までカメラの商品開発を担当していた人を、医療機器を開発する部門に配置転換することはできる。もちろん、担当者は努力するでしょう。しかしこのやり方は、カメラ開発者の契約を打ち切って、医療機器開発の博士号取得者を連れてくる欧米式のやり方には、効率性の面で敵わないかもしれない。

また日本では、専門的能力や学位を要求してこなかった。このことも、海外と国際競争していく上ではすでに不利に働いています。

たとえば金融の分野では、複雑な金融商品を扱うために、金融や統計の知識が必須になりました。アメリカなどの投資銀行では、大学院で学位を取得した人しかディーリング部門に配置しなくなっています。一方で日本の企業だと、図式的にいえば、社内で他の仕事をしていた人を配置転換して、仕事のあいまに金融や統計の勉強をさせることになる。

■正社員という身分の維持はもう難しい
――では日本に「特殊な身分」としての正社員は、今後存続するのは難しいのでしょうか?

このままでは厳しいでしょう。1990年代から「もう持続しない」と言われながら、よく20年以上も持たせてきたと思います。

なぜ20年以上も持ってきたかというと、このシステムの年功序列で上にあがった人々が、変えたくなかったからでしょう。非正規雇用を増やして賃金コストを削ることはやっても、基本は変わらなかった。

じつは統計的には、非正規雇用は増えているけれど、正社員は1980年代から減っていない。私の試算では、年功賃金を享受している層は1980年代から全有業者の3割弱で、この数字もほとんど変わっていません。では増えた非正規労働者はどこからきたかというと、自営業が一貫して減っている。

かつての日本社会は、農林水産業や商店などの自営業が多かった。彼らは、所得はそれほど高くなかったけれど、親から受けついだ持ち家があったり、地域社会の相互扶助を得たりして、それなりに安定した暮らしができていた。

1970年代に「一億総中流」と言われた時期でも、年功賃金を享受していたような大企業正社員は、おそらく全有業者の3割程度だった。「一億総中流」の実態は、みんなが大企業正社員だったということではない。大企業正社員以外の人々も、自営業者として地域社会で安定して暮らしていたというのが、「一億総中流」のように見えたということだった。

ところが1980年代の日本では、自営業者が急速に減って、非正規雇用者が増えている。構造的に見れば「正社員が減った」のではなく、かつてならば「大企業型」に入れない・入らない人たちの受け皿だった自営業が存続困難になり、非正規雇用者に切り替わっている。

このままだと、仮に上の3割の大企業正社員の安定を維持できたとしても、下の7割が持たない。上の3割の安定性も、いつまで持つかはわかりません。大手製造業や銀行のここ数年の惨状を見れば、おそらく今後は、上の3割を2割や1割に絞る方向に必然的になっていくのではないでしょうか。しかしそうなったら、大卒でも就職できない人が大量発生することになりますから、社会が不安定になるでしょう。

■これからどうする? 考えられる3つの選択肢
――ではどうすべきでしょうか?

私は、単純に日本の雇用慣行を欧米型に改めればいいとも思っていません。欧米型だと、格差が別のかたちで拡大する。どういう仕組みにしても、一長一短ある。

だから私は、本書でも「こうすればいい」といった無責任な政策提言はしませんでした。代わりに読者に向けては、最後に提言に換えて、3つの選択肢を示すことにしました。

その選択肢とは、2017年に労働運動の関係者の間で話題を呼んだあるエピソード――スーパーの非正規雇用者として勤続10年になる、あるシングルマザーが「昨日入ってきた高校生の女の子と私の時給、何でほとんど同じなのか?」と相談してきたという事例――に対し、読者自身が以下の3つの回答のうち何が最も正しいと思えるかを問うものです。

回答?は、「労働者の生活を支えるものである以上、年齢や過程背景を考慮するべきだ。だから、女子高生と同じ賃金なのはおかしい。このシングルマザーのような人すべてが正社員になれる社会、年齢と家族数にみあった賃金を得られる社会にしていくべきだ」。

回答?は、「年齢や性別、人種や国籍で差別せず、同一労働同一賃金なのが原則だ。だから、このシングルマザーは女子高生と同じ賃金なのが正しい。むしろ、彼女が資格や学位をとって、とり高賃金の職務にキャリアアップできる社会にしていくことを考えるべきだ」。

そして最後の回答?、「この問題は労使関係ではなく、児童手当など社会保障政策で解決するべきだ。賃金については、同じ仕事なら女子高生とほぼ同じなのはやむを得ない。だが最低賃金の切り上げや、学位・資格・職業訓練などの取得機会などは公的に保障される社会になるべきだ」。

戦後の日本の多数派が求めたのは?の方向でした。?はアメリカ、?は北欧や西欧に近いですが、?だと格差が開き、?だと税や保険料の負担増が増えます。

3つのうちどれか一つが正解、ということはありません。あなた自身がこの3つのモデルのうちどれを求めるのか真剣に考えてほしい。読者に望むのは、その一点に尽きます。

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