第115回 書評? 二宮厚美『新自由主義の破局と決着』

エコノミスト 2009年4月7日号

二宮厚美『新自由主義の破局と決着−−格差社会から21世紀恐慌へ』
新日本出版社、2200円+税

著者は10年前に同じ出版社から『現代資本主義と新自由主義の暴走』を出している。ほかにも多数の関連著作がある。

それにしても何という早技だろう。100年に1度の危機が21世紀恐慌の様相を呈してまだ半年というのに、この事態を即座に正面から考察するとは。

また何という荒技だろう。新自由主義の政策イデオロギーの諸相を、アメリカと日本をむすび、格差社会論と福祉国家論をつないで、経済から政治にいたるまで縦横に論じ切るとは。

本書にはドラマを思わせるがっしりしたストーリーがある。

第1幕は新自由主義が恐慌という名の魔神を呼び出すまでの場面である。

著者が言うには、市場万能論にたつ新自由主義は一方に冨の蓄積と他方に貧困の蓄積を生み出す。その結果、格差社会化が進行し、一方の極の過剰資金が他方の極の低所得層を食い物にする貧困ビジネスが横行する。

サブプライムローンは、低所得層に対する高金利の住宅ローンであった点で、略奪的な貸付であった。この貸付債権は、小口証券化され、多様な金融商品と組み合わされて膨張し、住宅・株式バブルを高進させ、結局はその不良債権化によって破局的な金融危機を招いた。

第2幕は、現下の大不況と世界恐慌の道行きである。日本では新自由主義体制が生んだ格差と貧困の拡大が、アメリカに向かう過剰資金の流れを生み、大企業は、内需の低迷を尻目に外需依存・設備投資主導の資本蓄積に突進してきた。日米間では、アメリカのバブルと個人消費の活況が、日本の商品と資本の輸出を牽引したと言っていい。

ところが、アメリカのバブルが弾けると、輸出の激減でたちまち「生産と消費の矛盾」が明るみに出て、一挙に過剰生産恐慌に突入したのである。

第3幕では、グローバ化のなかでの財政と金融の関係の変化が、需要視点―商品資本循環視点―財政政策軸足のケインズ主義から、コスト視点―貨幣資本循環視点―金融政策軸足の新自由主義への転換ととらえられ、また新自由主義の帝国主義的性格に関連して、「新たな福祉国家か戦争国家か」の選択問題が取り上げられる。

ここで舞台を転換して、4幕ではいま流行の分権国家構想を取り上げ、それがナショナル・ミニマム保障の解体論であることを明らかにされている。

終幕では新手の福祉ガバナンス論を俎上に載せて、「ポスト新自由主義」としての「新福祉国家」のあり方が探られる。ここには意外な論争も秘められているが、誰とのどんな議論かは読んでのお楽しみである。

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